食べて祈って恋をして



2010年のジュリア・ロバーツ主演のこの映画。
離婚して落ち込んだ女性が、イタリアで食べ、インドで祈りインドネシアで恋をする、という身もふたもないお話。
当時、びっくりするくらい評判が悪かった。
グルメ、瞑想(ヨガ)、占い、恋愛・・・女子が大好きな要素がてんこ盛りなのに。



一番大きな理由は、そもそも彼女が「なぜ離婚したのか」という理由が、この映画からはさっぱり理解できなかったからだ。
映画から読み取れるのは

「夫が大学院に行きたいと言い始めた。そんな夫はいらないので別れたい。」

という身もふたもない情報だけ。


え?何で?
誰もが思うだろう。

しかも夫は今でも彼女を愛していて、離婚の話し合いを終えたエレベーターの中で涙を流している。
これがまだ映画の超前半。
この時点で主人公は観客女性のほとんどを敵に回したであろう。


何でこんな映画作っちゃったの???


しかしこの映画には原作があり、原作も世界中でヒットしたという。
私は「本当の」離婚の理由が気になって仕方なかったので、原作を読んでみることにした。
そしてようやく合点しました。

何故彼女が、満たされた生活を捨ててまで、全財産を投げうってまで、離婚を選択したのか。


でもその理由を知ったところで、いや、そういう理由だからこそ、このお話はほとんどの女性の共感は呼ばないということもわかった。

だからこそ、映画ではあえてその部分をぼかし、あたかも「いい年をして大学院に行き直して(金にもならない)教育学を勉強したいなどというimmatureな夫に愛想を尽かした」為に離婚した、という風に見せたのだろう。



本当の理由は・・・

30歳を過ぎても子供が欲しいと思えなかった。

世界中を旅して歩きたかった。

つまり、自分に正直な生き方は家庭という枠にはまらないことを悟ってしまった、これ以上自分を偽って生きることが出来ないと心が悲鳴を上げたから。



なんたる子供っぽい自己中女。
immatureだったのは実は当の本人だった訳だ。


子供が欲しくない???
この時点で世の中の9割の女性は引くだろう。


だけど、この本が全世界で読まれたことが示すように、おそらく1割の女性は、そんな彼女に共感する。
・・・私を含めて。

トラステベレでピッツァに舌鼓を打ち、ベルニーニの彫刻を堪能し、若くて礼儀正しいイタリア男子にイタリア語を教えてもらう彼女を、(しかも彼女はこの作品を書くことを条件に出版社から前金をもらってこの旅に出てるのだ)、心の底から羨ましいと思う。


つまりこの本は、女が本能に忠実に生きることの恥ずかしさをこれでもかとさらけ出した本である。
ひたすら醜い欲望と子供じみた自己憐憫とちょっとしたモテ自慢を混ぜ合わせた、シェフのきまぐれ旅サラダ・・・。


痛い女は世界中どこにでもいるということがよく分かる話である。


尚、私がこの感想文を書いた理由は、「食べて祈って恋をして」「離婚」「理由」で検索した人に答えを提供してあげたかったからです。
お役に立ちましたでしょうか?


<参考>
山崎まどかさんの書評は意外と好意的
http://www.bookjapan.jp/search/review/201001/yamasaki_madoka_01/review.html

Newsweekの映画評。一般的にはこのあたりの感想が妥当であろう
http://www.newsweekjapan.jp/stories/movie/2010/08/post-1537.php?page=1