最近の雑念



日曜日の夜の「Mr.サンデー」を毎週楽しみにしている。番組で時々放送される、現代の若者や青年の姿を切り取ったノンフィクションがかなり面白いのだ。あれこれ考えさせられる。
例えば、「平凡な結婚相手を探す三平女子」だとか「やりたいこと探しが止まらない今時の若者の3年で会社を辞める理由」とか。

Mr.サンデーが好きな素材は、高学歴なんだけど社会人としては負け組って感じの若者。
先日はついにそのものズバリ「高学歴貧乏」に切り込んできた。
いや、これは一見の価値があった。
何しろ、飛び級入学第1号となった男性の今を追っていたのである。
当時、私はこのニュースに「飛び級出来るくらいなら、千葉大なんか行かないで普通に東大に行けばいいのに・・・」という感想を持ったことを良く覚えている。

で、そのうちの一人が今どうなったか。
物理の研究者という夢はかなわず、かといってまともな就職も出来ず、結局今は塾講とトラック運転手で家計を賄っているのである。

それはなかなか視聴者的には衝撃的な映像であったが、しかし当の本人は結構あっけらかんとしているのである。
もちろん彼がそこに至るまでには相当の葛藤があったであろうことは容易に伺い知れる。
しかし今の彼にとっては、まずは子供を食わせることが第一なのであって、プライドなどやりがいなどヌルいことは言ってられない、ということらしい。

私も学歴崇拝に毒されている一人なので、相応の学問がありつつ、しかし社会的に成功出来ないことの苦しみが、(自分自身の経験として)直視するのが苦しいほどによく理解できる。
いや、私の反応はむしろ一般の人よりも過剰なのかもしれない。
先の番組でも、大学院を出て30歳で手取りが19万円という男性が、「やっぱりどこかに(大学院卒という)プライドがあるのかな」というようなことを語っていたが、カメラの前でそう告白できる彼は潔いと感心してしまった。

高学歴にも関わらず人生を踏み誤ると言えば、その極北がオウムであろう。
今回、改めてオウムに関わった人物についてwikipediaで追っていくと、錚々たる学歴が冗談みたいに並んでいるのである。いったい彼らは学問を通じて何を学んでいたのであろうか。
そして青春の一時期でも共に学んだ者達が、片や国家の政治や経済の中心として活躍し、片や頭のおかしいおっさんの犯罪の片棒を担いで人を何人も殺め、堀の中で一生を終えるのである。

おそらくいつの時代にも一定数、そのように恵まれた才能を社会や経済に正しく還元出来ない人間はいるのだろう。
考えてみれば女性はほんの30年ほど前までは、大学を出てもまともな就職先も無く、つい最近まで結婚退職、出産退職が当たり前で、まさに「無駄に高学歴」以外の何物でも無かったのである。


話が脱線するが、職場で、ある年上の一般職の女性が「私たちの時代は、女性は「女の子」の仕事をしてれば良かった。でも最近の若い女性はみんなガツガツ働くから、それがスタンダードになってしまって、ゆるく働きたい私たちの居場所が無くなってしまった。」と嘆いていた。
あまりにも現状が見えていないお嬢ちゃんな発言にめまいを覚えつつ、しかし彼女達に全く同情出来ないかと言えばそうでもない。それは多かれ少なかれ、長く働く女性(男性でも)が直面する問題だと思うからだ。
常に全速力で走らなければいけない社会というのも、しんどいものである。
閑話休題


学歴というのも一つの信仰で、本当はそれ自体は「お勉強が良く出来ました」という以上の意味は無い。
とはいえお勉強が良く出来た人は、社会に出ても色んなことを観察し学ぶ力が優れているし、よく努力もするし、物事をロジカルに考え説明することが出来る人が多いというのは確かだと思う。
だからといって、それが必ずしも金を稼ぐ力があるということとは一致しないし、物事の善悪を理解して、理解したように振る舞うことができるということとも一致しない、ということを、個々の歴史が証明しているのだろう。