私、とても幸せよ

日本は物質的には豊かであるが、幸せを感じられない社会だと言われて久しい。その大きな原因は「幸せテンプレート」すなわち古い社会倫理である。これをどうかにかしなくては多くの人間が幸せを感じられる世の中にはならないだろう。


愛読してるslide100さんのブログにあった幸せテンプレートっていう言葉はうまいなと思う。
私もテンプレが古くて、どうにかしてテンプレを書き換えたいと苦心している。


このテンプレの押し付けがましさといったら、とても一個人の力で戦えるものではない。
でも全く別のテンプレで生きてる人も、確かに少数ではあるが、いる。


時々、いや、しばしば、私は人生を投げ出したくなる。
もう疲れた、死にたい。
こんな状態のままで40歳になんてなれない。
不幸だ。


そして、そう思うとき、同時にまた冷静な私が
「いったいお前のどこが不幸なんだ?」
って突っ込む。


今の私には決まった仕事があるし、職場は穏やかでみんな親切だ。
安い家賃で広い家に住んで、お休みの日は屋上に干したふかふかの布団で寝られる。
両親は健在で、自分達で自活してくれている。
かわいい姪っ子や甥っ子もいるから、親の遺伝子もちゃんと受け継がれていく。
左の薬指が寂しいのは、私がそれに対して努力しなかったことの結果なのだから、その結果を甘んじて受けよう。
だいたい、29歳の私は結婚がしたく「なくて」たまらなかったじゃないか。


フリーターで将来が真っ暗で、貧乏で6畳一間のワンルームに住んでて、食べては吐いて頭がおかしかった20代の私に較べたら、なんて、10年後の私はなんて恵まれてるんだろう!
何度も書いてる気がするけど、本当に、こんなに幸せになれるなんて、生きてて良かった、投げ出さなくて良かったと、心の底から思ってる。


それでも、どれだけ恵まれていても、「もっと」「もっと」って周りが言う。


結婚できなくて可哀想。
子供がいないなんて可哀想。
将来ひとりで老いていくなんて可哀想。
男に相手にされないオバサン可哀想。


あぁ・・・私って本当に不幸なんだなって「思わされる」。
巧妙に、まるで私自身が生来そう思っているかのように。


でもそろそろ、人生も折り返しなんだから、ホンキで自分のオリジナルのテンプレートを作ってもいい頃だ。
だって今の与えられたテンプレートの枠組みの中では、私の人生は絶対に不幸という結論からは逃れられないのだから。


第一、不幸そうな表情なんて、若くて美人にしか似合わない。
おばちゃんが不幸そうなんて、辛気臭いだけだもん。
おばちゃんってのは、やたら元気でガハガハ笑って鬱陶しいくらいに五月蝿いとこが魅力なのだ!(ホントか?)


ちなみにタイトルは昔むかし、渡辺満里奈が主演してた深夜ドラマ、「フーライ嬢日向子」の挿入歌より。
私、このドラマがめちゃめちゃ印象に残ってて、もう一度観たくてたまりません。
サウナに寝泊りしてて、昼間はOL、夜はポスター貼りのバイトしてる女の子の話。
なんか岡崎京子の漫画に出てきそうな感じの。
でも浜田ブリトニーとはちょっと違う感じの。