歳時記(年に一度と四年に一度の)

そういえば昨日三越の下に行ったら、サティだけが大行列だった。
サティってそんなに有名なの?なんなの?


テレビつけたらオリンピックの開会式だった。
今日から始まるって全然知らなかったからちょっとビックリした。
私がTVも新聞も*1あまり観ないからだろうか?
なんか全然話題になってないオリンピックのような気がするのだけど。


冬のオリンピックと言えば受験を思い出す。
丁度「受験の宿」(byJTB)のホテルに滞在してる時期にオリンピックがあって、生まれて初めて冬季オリンピックというものの存在を知った。(!!!)


うちにはBSなんて高価なオモチャはなかったし、家は厳しくてTVをあまり観させてもらえなかったし、だから受験そっちのけでホテルのTVに夢中だった。
頬っぺたに日の丸描いた荻原兄弟がカッコ良くて、夜中なのにどうしても観戦を止められなくて参った。


あの頃はバブル崩壊後何年かした後だったが、今思えば日本は本当に裕福だった。
今年の大学生の親からの仕送り金額は1985年の金額らしい。
25年前と同額ってすごい。
モノの値段というのは長期的に見たら上がるものなんだと思ってたよ。
私が大学で勉強したことは何だったんだ。
そういや農業経済学の授業とかあったぁ・・・中国の。
人民公社って言葉が今どうしても思い出せなくてWikiったよ。)


ともかく、当時、うちは娘を受験の宿に連泊させるくらいには裕福で(笑)、お陰で私は夢の東京生活への切符を手にした。
もし今私が受験生だったら、どう逆立ちしてもせいぜい関西の国立しか行けなかったはずだ。*2
(そこから4年後に東京生活への切符を手に入れることは可能かもしれないが。)


どこに生まれるか、いつ生まれるか、誰の元に生まれるか、何もかもが偶然だ。
でも偶然から始まる必然しか無いのだろう。
前には道はひとつしかなく、振り返れば何故か他の道があったように見えるだけだ。


冬季オリンピックを観ると必ずあの頃のことを切なく思い出す。
未来が見えないこと、なのにその未来に(自分が手にすることが出来ない)無限の可能性があるような気がすることは「苦しみ」でしかない。
痛くて痛くて堪らなかった。


人生の可能性がどんどん狭まって、先(のどんづまり)もなんとなく見えてしまうと、そういう苦しみからは解放される。
もっとも、そこにはまた別の種類の、鈍痛を伴う苦しみがあるのだけど。

*1:それって仕事柄どうなの?というツッコミはまぁまぁ。

*2:もっとも、国立に行けるほどの学力は無かったような気がするから、この表現は正確ではない。