もっともっと高い山へ

大野さんの「人生のピークって何だろう」という記事にとても励まされた。


人生のピーク・・・
そういえば今まで「ピークがいつだった?」って他人に聞いたことは無いかもしれない。(「今までで一番幸せだった頃っていつ?」とは聞くことはあるけど。)
面と向かってソレが言えるって随分失礼だと感じるのは私の年齢だからだろうか。
そもそも自分がそんな風に(ピークが過ぎ去った過去にあるかのように)過去を振り返りたくないという強い願いがある。
自分の人生がピーク以降に下っているって思いたくない、「リアリティのない」右肩上がり信仰の人だから。


けどそうかなぁ?
そもそも大野さんが言うようなピークの定義を社会的成功に置くなら、それはそれぞれの属性における成功の度合いでしか測れない気がする。
学生なら学生としての成功の基準があるし、社会人なら社会人としてのソレがある。
どこで勝負するかっていう問題もある。
まさに「井の中の蛙」という言葉があるように、小さな世界で勝負してれば常に勝ち組ってこともありうる。
それこそ日本の政治家なら(一般的に)ピークがくるのは60歳以降だろう。


そう考えると、やっぱりピークって自分の中での満足度でしか計れないんじゃないかしら?
そしたらやっぱり何歳になってもピークって「これから」かもしれない、って信じることはあながち「リアリティがない」話でもない気がする。


私くらいの歳になると、やたらと若かった頃を振り返って話したがる人が増える。
それこそ80年代の音楽を盛り上がって聴いたり、大学時代の武勇伝を語ってみたり、昔の恋愛ドタバタを繰り返し語ってみたり。
よく高学歴男子と合コンするといまだに受験勉強の話で(男同士だけで)盛り上がって超興ざめ・・・という女子のグチがあったりするのだけど、まぁそれはそれで仕方ないのよね、だって彼らの青春がまさに受験勉強というゲームにあった訳だから。
とはいえ、やっぱりそういうのってカッコ悪い。
人間は誰しもが過去無くして今の自分は無いのだけど、もういいよ、過去の話は、一回聞いたら十分です、みたいな気がする。


でも、私がこれほどに他人の過去の栄光の話をうっとうしく思うのは、自分の若かった頃が幸せだった記憶があまり無いからだ。これは間違いない。
だから余計に、右肩上がり信仰にしがみつきたいのかもしれない。
常に一年一年、前の年よりも幸せだと感じていたい、それはほとんど「祈願」に近い想いだ。


だから大野さんの
「30代後半から40代前半は、個人的にはしんどいことが多かった反面、20代と比べるとはるかに面白い時期だった。」
というのはとても励まされる言葉だ。
面白いって感じられるって、やっぱり幸せだと思うから。


ちなみに何かの調査によると、一般には50歳以降に幸せを感じる人の割合が一番高いそうだ。
逆に一番苦しいのは40歳代だとか。
でもこういうのって男女でかなり違うような気がする。
女性は閉経するとかなり体調が変わるし、きっと気分や考え方も変わるはずだ。
あと子供がいる人といない人でもその後の人生は相当に異なるだろう。(幸せの基準の置き場所が全く違ってしまうだろうから。)


結局どんなときでも(外的条件がどうであろうと)いつでも幸せだと感じられるポジティブバカになれるのが一番幸せな人生なんだろうなぁ。