客観的事実と主観的現実

以前「証拠をみせろ」という記事の中で、女性の顔の美醜が人生に及ぼす影響を客観的に図ったデータがあればいいのに、って書いたのですが、戦前の日本の調査ではありますが、実際にそういった調査データがあったようでして。


日本の女が好きである。


この結果が面白い。
うすうす皆が体感として感じていたことが明確にデータとなって現れているのでありました。
つまり

女学校の卒業生の追跡調査も生々しい。こちらでも女学生の美醜を複数の人間が見て5段階にレイティングした後、10年後の結婚状況を調べた。すると最も美人と最も不美人の層が結婚できていたのである。


あるあるあるある・・・。
しかも「2番目の層が一番結婚率が低い」というのが生々しい。


先日帰省していた際に母校の小学校の前を通りかかったのだが、その際にもしみじみ思ったのは、私の母は(世間一般の母親がそうであるように)私が女としての幸せな人生を歩んでいないことを常々嘆いている訳だが、この頃の彼女の教育の延長上に今の私があるのは間違いない。
もし時間を巻き戻して小学生からやり直して別の教育をすれば、私はこの「不美人であるがゆえに結婚できている」層にいたのだろう。
そうすれば母の思う幸せな女の一生を送っているのだろうに。
なまじ学をつけたばかりに小生意気になり、女としての美徳を失い、しかしそれを補う容貌も無く、結果として「女の幸せ」とやらを掴み損ねている訳で、母の涙目のお小言にも「そりゃあなたのシナリオ通りの結果じゃないですか」と言いたい。



ところでこういう「体験的には知ってるけどデータとして示されない」というものは未だに沢山あるようで、先日もネットで
「ストレスで白髪になる」
という「はぁ。知ってますけど、それが?」という話がまるで新発見であるかのように発表されていたのを読んで*1
「そうか、人類は宇宙旅行が出来る時代になっても白髪のメカニズムすら知らなかったのね。」
と逆に新鮮であった。

*1:とはいえココで言う「ストレス」が「マウスに放射能を当てて遺伝子を損傷する」という、それってストレスじゃなくて別の要因なんじゃ・・・?と素人突っ込みしたくなるような実験結果から導き出された答えのようですが、エライ先生が発表することなんだからまぁ間違いは無いのでしょう。