無題

急な用で帰省。
飛行機のチケットをとろうとすると、平日なのに、か、平日だから、か、前日ギリギリでも特割料金で予約が出来る。
つまり席はガラガラ。運賃は新幹線より安い。
飛行場は不便なところにあって、普段は両親が車で迎えに来てくれるのだが、今回はバタバタしているので自力でかえらなければいけない。
いったんターミナル駅までバスで出て、そこから在来線に乗り換えて1時間半、もしくは空港から直接乗合タクシーで国道を走って1時間半、いずれにしても飛行機に乗っている時間よりも長い。
タクシーの方を選び、ダム沿いの道をくねくね進むと、普段から三半規管の弱い私はもう吐く一歩手前というところで、ひたすらガムをかみ続け車窓の景色に集中する。


新緑の緑の中にぽつんぽつんと民家が建っていて、こんな風景の中で20年近く育ったというのに、いったいこんなところで暮らす自分の人生なんて全く想像できないと思ってしまう。
インターネットは光だし、最近はコンビニだってある。
家に帰れば全自動の浴室に、IHのクッキングヒーター、42インチのテレビまである。
(東京で団地生活の私の家は当然ながら内釜の風呂(一応自動で湯は貯まるけどね!)にガスコンロ、テレビは20インチ。)
地方経済は衰退の一途だが、生活の利便性はこのあたりでも確実に上がってきた。
しかし便利になればなるほど、足りないものが目立つような気がする。
人の脳は塗りつぶされていない隙間を探すように出来ている。


家に帰るとそこには既に抜け殻となった祖父がそこにいて、顔を見た瞬間に、あぁいないんだ・・・って思う。
泣けるかと思ったけど、少しも涙は出ない。
とっくに祖父はいなくなってしまっていると、ただそればかりを感じる。
普段、魂の存在は信じていないのに、こんなにしっかりと物質があっても、こんなにも「不在」を感じるなら、やっぱりそんな存在があるんじゃないかと、何か本能的に感じてしまう。
多分それを感じる本能自体、生物としての反応のひとつでしかないのだろうけど。


通夜、葬式で各地に散らばっている子供、孫、ひ孫が何十年ぶりにほぼ全員集合する。
子供のころ、みんなでかけっこしたり、きゅうりをもいで食べたりしたのに、今では私以外のいとこは全員結婚して、ほとんどの夫婦に子供が二人以上いる。
子供達はすぐに仲良くなってじゃれあって遊び、私たちはそれをつい昨日のようにすら感じる自分たちの姿に重ねる。
でもそれぞれ知らない場所で知らない時間をすごして大人になった私たちは、皆が祖父の血を同じだけ受け継いでいるというのに、こんなにも違ったかと思うほどにそれぞれの個性となりほとんど他人と変わらない。いとこ同士は結婚できるくらいだから当然「他人」なのだろうが。
こうして血は薄まって、人は「種」として生き延びていくのだね。


普段会わない本家や分家の親族、式を手伝ってくれる近所の人たちを次々に挨拶しても、誰が誰だか全くわからない。
とりあえず皆に頭を下げて、日頃の不義を詫び、お礼を言う。
次から次へと、祖父にこれだけの親交があったのかと思うほど多くの弔問客が訪れるが、その大部分は祖父をよく知るというよりも、ご近所であったり、遠い親戚であったり、また父の関係の人で、葬式というのは故人を借りた「社交」の場なのだということを改めて強く感じる。
「社交」疲れで母が倒れるのではないかと、そればかりが心配な娘。


バタバタしている間に行事は過ぎ、祖父は煙となって空にあがる。
大往生だった祖父。
その間際に、人生を振り返り、何を思ったのだろう。
いつも、誰もそのことを答えてくれない。
法要の間は5月のような穏やかな快晴だったのに、祖父が煙となってしばらくするとにわかに空がかき曇り、落雷、叩きつけるように雨粒がどっと落ちてきて、それからまたしばらくしてぴたりと止まった。
祖父が行ってすぐに帰ってきたと父と笑った。


また空港から飛行機で東京に戻る。
空港でも天気が悪く、雷雨で飛行機が飛ばないのではないかと少し心配したが、搭乗の時、滑走路の上に完璧な半円の虹が出た。
祖父が見送ってくれているようだった。
東京に戻ると、自分の世界に帰って来たと、ほおっと息をついた。


夜、ふと祖父の手のひらを思い出した。
よく神前で祝詞を上げていた祖父の、拍手の良い音がする厚い手のひら。
藁を編んで縄を作る方法を教えてくれたときの、縄を締める手のひら。


みんな少しずついなくなる。