情報社会の格差社会

(すごーく今更な、すごーくありふれた話を書く。これは自分への覚書なのでお付き合いくださる方、すみません・・・。)


世の中にはものすごく良い情報を知ってる人がいる。
その人のTwitterのつぶやきやブログから知ったことで、大げさに言えば私の生活を変えるくらいにすごいサイトやツールに出会ったことが何度もある。


ここでもまた世の中は8:2の法則で出来てるのだけど、2というよりも感覚的には0.6くらいな感じだ。
結局2σ以上ってことなんだろうけど。
世の中の大多数の人は2σ以内をうろうろしてて、ごく僅かな人があっち側の世界にいて、あっち側の人はどういう訳だかすごい情報を的確に探し出す嗅覚やら収集力やら情報処理能力やらがある。
つまりこれは「ティッピング・ポイント」に書かれてた事と同じなんだけど。


今は誰でもどんな情報にもアクセスできる。
いや、もちろん本当にインサイドな情報は当然クローズされてるけど、まぁほんの10年前に比べたら、どれほどの情報が世の中に溢れてるか。
雑誌を読まなくなるのも、テレビを見なくなるのも当然。
だけど、氾濫する情報の中で本当に必要なもの、本当に新しいもの、生活をイノベートするものを見つけるのは、砂金を見つけるような作業だ。
結局はすぐれた検索機能が無ければ役立つ情報は得られないし、優れた検索機能というのはパソコンで言えば優れたCPUと優れたHDやらメモリやらが必要なのだ。


とても頭のいい人のおうちに行ってつくづく感心したのは、山のような本を持ってたけど、その中にくだらない本がほとんど無かったことだ。
どれも「コレ持ってんだ」とニヤリとするようなものばかりで、私のように溢れるゴミ本と一部の良書という、ごく一般人の本棚とは全然違うのが一目瞭然。
その人が薦めてくれるものはどれもこれも「確実」で、その人の物の考え方ややり方も私の人生に多大な影響を与えた。


日常を抜け出して次のステージに行きたいときには、そういう本当に頭のいい人、ごくごく一部にしかいない「本質が見える人」というのかな、そういう人とアクセスすることが一番の近道だと思う。
そして本質を知る人は惜しみなくその知識を世の中に広めて欲しいと思う。


ちなみに先に書いた頭のいい人も「将来は本を出したい」と語っていた。
俗人の私が「有名になりたいから?」って聞いたら、
「自分が得た知識を世の中に還元したいから」と答えた。
そのときは「かっこつけちゃって」って思ったけど、今考えると多分それは(100%とは言わないけど)その人の本音だと思う。
実際、そういう人は情報をシェアすることを惜しまないことが多いのだ。
だからシェアウェアとかwikiとか、インターネットの中には(凡人からみると)ただ働きしてる(ように見える)人が沢山いるんだろう。


で、自分への覚書が何かというと、ゴミ情報を集めたところで混乱するだけなんだから、本当はより多くの「2割の人」に繋がる努力をした方がよほど早いってこと。
いらん8割はさっさとゴミ箱に入れたほうがいい。
「もしかして後から使うかも」ってもので使うものなんて1割くらいしかないんだから。
暇つぶしならいいけどね。


部屋も情報も整理したい春です。