迷う力

毎週、町山智博のストリームPODCASTで効くのが私のささやかなお楽しみのひとつなのだが、先週火曜日はそこに入ってたのが「悩む力」でおなじみ姜尚中のインタビューであった。
しかし物知った風におなじみとか書いてるけど、実は私はこの人のことを全然ちゃんとは知らなかった。
それで巷で話題の「悩む力」も当然のようにスルーしてたのだけど、ストリームの内容が結構良かったのでにわかに興味が湧いてきた。


その番組の中で、ある五十代の男性の「私の人生はそれなりの人生だったのですが、それでも自分は流されてきただけで、本当はもっと別の人生があったのではないかと悩みます」というような相談が取り上げられており、それに対する小西克也のコメントが「日本人は自分で決断するような社会の仕組みになっていない。でもアメリカでは、とにかくあらゆることを自己責任の名の元に(とは言ってなかったのだが)決断することを迫られる。それこそカフェテリアのメニューひとつとっても、日本ではせいぜいA定かB定か決めればよかっただけのことが、アメリカではあらゆる種類の食べ物の中から、コレとコレ、という風にとにかく素早い決断が求められる。決断することが幼少時から訓練されている。日本は主体的な決断を持たせる仕掛けになっていない。」というようなことを述べていて、それがすごく今の私の胸に響いた。(ってそれって姜尚中にじゃなくて、コニタン*1じゃん!)


「ソース」という怪しい自己啓発本*2
「決断できないことは先送りすればいい。何故ならそれは決断する時期がまだ来てないからだ。」
(本当にしたくなったら自然に決断するし、したくないことを決断しても結局は出来ないから。)
みたいなことが書かれてて、最近それを熱心に実行している私(笑)からすると、瞬時の決断が出来る人ってとても羨ましい。


また鬱ということについても語っていて、鬱の人は江戸川乱歩の小説のように、四方八方が全て鏡の部屋の中にいるようなもので、見ているのは自分だけ、という世界の中にいるのが鬱の人間だ、というようなことを語っていた。でもそこを抜けるには、そこに風穴を開けて、自分以外のものを見ていかなければいけないと。
(今度はちゃんと姜尚中の言葉だよ。)


それを聞いた時に思い出したのがちょうど前日に読んだこのブログだった。
エゴとは何か。それは自分の殻に閉じこもり、変わることを拒絶することだと。そして成功とはそのエゴを超越するところにあると。
あぁそうだなぁと思った。鬱の状態とはエゴに囚われている状態だ。
だから鬱状態の人はとてもエゴイスティックなのだと言える。
周りが見えない、自分のことしか考えられない。
そしてそんな自分の歪んだ思考に頑なにこだわる。
あらゆる自己啓発本は結局のところ手を替え品を替え、「エゴ」を手放せば人生は回り始めるのだ、ということを言っているのだ。

*1:ちなみにコニタンと町山さんの組み合わせは最高。町山さんが一人でしゃべるとちょっと助長になるとこをコニタンが上手くチャチャを入れて緩急つけてる。でもよく聞いてると結局彼は相手の言葉尻に掛けて自分の言いたいことを喋ってるだけのインタビュアーつうよりどっちかっていうとコメンテーターで、でもそこが何気にさりげないのが巧いなぁと思う。

*2:こういうセミナーとか開いててちょっと団体っぽくなってる自己啓発って須く怪しいと決めつける私。「怪しい」の意味は洗脳されるとかそういうことではなくて、どっちかというと、ちゃんと「ビジネス」になってる、というニュアンスです。