大丈夫、いつかは終わる



時折思い出したようにいじめの問題が話題になる。
実際にいじめにあった経験のある人はその都度、トラウマが蘇ってPTSDだろう。

あるはてぶの記事を読んだ。
http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20120707/1341604642


そのなかに「物理的に逃げろ」というアドバイスは全く役に立たない、という内容があった。
それを読むまでは私も「逃げればいいのに」とまるで他人事のように思っていた。

私自身は「いじめ」を受けた経験はないが、それに近い、クラスメートに無視されて友達がひとりもいない、という時期が半年ほどあった。
中学時代の僅かな時期(中学2年)で、真剣にいじめられていた人から見れば「へそ茶」レベルの話だし、私自身にとっても生死にかかわるほどの深刻な話ではなかった。
というのも、そもそもその状況を招いた張本人は自分だという自覚があったし、私は当時、クラスメートに対して完全に「上から目線」だったからだ。
つまり「下々のもの」に無視されたところで、本当のところ、痛くもかゆくもなかったのだ。


この出来事の詳細は注*1に譲るが、いじめとは別のことで、私は学生時代、学校に通うのが困難な時期があった。
正確には、高校の後半から20代のほとんどの時期をそのことで潰した。
文字通り、逃げ場が無かった。
だから、上記の記事を読んだとき、そうか、いじめに対して「物理的に逃げろ」というアドバイスが現実的でないというのは、確かにその通りだと気付いた。


その問題が何だったのかはここには書かない。
ともかく、私はその問題に悩み、そしてそれを親に言うのが困難だった。
親に言えば何かが解決していたのか。いや、多分何も解決しなかっただろう。
だが少なくとも私の追い詰められた気持ちの少しは癒されたのかもしれない。
だが難しかった。

何故なら思春期だったからだ。
思春期の親との関係は、普通でも複雑にねじれるものなのに、ややこしい状況ではとても正常な判断など出来るはずもなかった。
いや、実は、そのことを一度だけ、母親に相談した。
ものすごく勇気を振り絞って。
手が震え、声が上ずるほど緊張したが、なるべく軽い調子を装って、こういうことに悩んでいるのだと告白した。
母は同情してくれたし、どしたらいいかなと考えてくれたけど、まさか私が自殺を考えるほどに追い詰められているとは思いもよらなかったと思う。
そして最後は常套の「気にしない」という言葉に落ち着いた。
私は絶望した。ものすごく絶望した。
もう私は一人でこの問題と戦わなければいけないのだと思った。
そこから10年はひたすら灰色だった。


だから私はもし自分の子供が同じように何かに悩んだときに、自分に相談してくれるなんて安易には考えられないし、相談されたところでそれに対して本当に正しい対処をしてあげられるのか自信がない。
私の母は私のことをものすごく愛していて、子供の為なら自分の命を投げ出してもいいというくらいに全力を傾けて育ててくれた。(当然行き過ぎた愛情なので私はACに育つ訳だが。)
それでも、そんな母でも私を救えなかった。
だから私は自分の子供を幸せにしてあげられないのだという諦念が常にある。
それが私の子供を産みたいと思えない最大の理由だ。


ともかく、今振り返って、その時どうすればいいのか、と考えると、やはり私も上記の記事と同じことしか言えない。
耐えなさい、ひたすら耐えなさいと。
闇はいつか明けるのだと。
私も闇が明ける日が来るなんて想像できなかった。
ただ死が怖くて遂げられなかったから生きていただけだ。
それでも生きていて、じたばたし続けているうちに、ある日、気づいたらうっすらと空が明るくなっているときがあるのだ。


ましていじめなら、その闇は「絶対に」明ける。
ある場所でいじめられていた人間はどこに行ってもいじめられるという人がいるけど、大丈夫、そんなことはない。
ちなみに人間、大人になったらいじめなんて下等なことはしなくなる、ということは、残念ながら全くない。
会社でも、公園でも、いじめはある。
でも、どこかには必ずその人にあった場所がある。
それこそ、いじめられていた人ばかりが集まるような、そんな場所があるのだ。
そこを見つければいいのだ。
学生時代さえ生き延びれば、後は自由。
世界は広い。


但し、いじめられた経験が人生にネガティブな影響を残さないかといえば、それは残念だが保障できない。
私が無駄にした10年は決して戻らない。
最も輝いているはずの時期を曇天の中で生きたことは、私の人生から色んな可能性を奪った。
だけどそれを嘆いても仕方ない。それは交通事故にあって肢体不自由になったのと同じように、運命だったのだと思うしかない。
人生は不条理にできているのだ。
だけどその出来事をどう捉えるかは本人次第。私はなかなかコップの水を「まだこれだけ残ってる」と思えないタイプだから、他人にアドバイス出来る立場ではないけれども、乙武君と言わないまでも、皆がそれぞれの分の中で精一杯生きているのが人生だ。
「もし」は無いのだ。与えられた武器だけで勝負するしかない。


もうひとつ、人間はなるべく「恥」の感情を無くして生きた方が「楽」に生きられる。
決して他人に誉められる人生にはならないだろうが、本人の体感的にはとても楽ちんになる。
思春期時代ほど恥の感情が強いのだが、どうにかしてそんなものをうっちゃれるような強さを身に着けられないものかなと思う。
恥の感情はプライドの高さに比例するので、要はプライドを捨てろということになるかもしれないが。
逆にプライドをエベレストより高く持つ、という手もある。
自分は高貴な人間で、周りの人間は蛆虫くらいに思っていればいい。
「いじめ」という行為も、ハエや蚊が鬱陶しいのと同じ、と考えれば少しは気持ちが楽にならないかな。
・・・まぁ人に言うのは簡単で、自分も未だに恥の感情に悩まされない日は無い訳だが。


本の題ではないが、「だからあなたも生き抜いて」と思う。
10代の子供が自分の命を自分で断つような悲しいニュースを聞きたくないからこの記事を書いた。
こんな日記は子供は読んでないから意味が無いのはわかっているけど、書かずにはいられなかった。


*1:ただ辛かったのは、3年生の春に、そのクラスのメンバーで修学旅行のグループ行動をしなければいけない、ということだった。体育の授業で二人一組になるとき、誰も組んでくれないような人間が、修学旅行で誰とグループになればいいのか。恐ろしいことに、そのグループは先生の優しい配慮で「自主的に(仲の良い子と)組成してよい」というものだった。状況は絶望的だった。私は母に素直に状況を訴え、母は心を痛めてくれた。
結局その問題は別の角度から解決を見た。(おそらく私の状況に気づいていた担任教師の配慮で)同じ小学校出身のクラスの中でも中立的な立場にあった女の子たちのグループが私に声をかけてくれるようになったのだ。私は本当に嬉しかった。今でも彼女たちに感謝している。直接口に出したことはないが、この感謝の気持ちを私は一生忘れないだろう。
(もしかしたらこの出来事は昔のブログに書いたかもしれない。それくらい私にとっては人の善意に救われる強烈な出来事だった。)