からだに意識が向かないうちは、毎日がもっとずっと幸せだったように思う。中学時代、わたしはがり痩せの体型だった。が、そのことをいいとも悪いとも思わなかったし、痩せているという意識も、ほとんどなかった。おしゃれに目覚めたのもこの頃だが、からだに目覚めていないのだから、似合う似合わないといった判断もないままに、ただ着たい服に憧れ、雑誌をめくって夢見ていればそれでよかった。運動部を掛け持ちし、好きな男子に胸ときめかせていた。からだというやっかいなモノに出会うまでは、実に平和な時代だった。

(中略)

 十代の後半頃から不本意に育ち始めたからだを、わたしは次第に憎悪するようになっていった。からだを自分自身と切り離して考える癖がつき始めたのも、この頃からだ。そして、なにか苦しいことや傷つくことがあると、その怒りや悔しさをからだにぶつけた。たとえば、ジャンクフードを一気に食べる、タバコを何箱も吸う、といったことが始まった。からだに罰を与えるのだ。
 そんなとき、からだは奴隷のように思えた。心に負ったストレスや傷をからだに受け止めさせ、痛めつけることで解消しようとする。サンドバッグがわりにする。それは次第に癖になっていき、ストレスを感じた瞬間、食べたり吸ったりを反射的に繰り返すようになっていった。

胸とお尻を受け入れられない
感じるからだ|光野桃