備忘録代わりに、読んだ本から(女子がらみで)印象的な文章を保存していきます。


入社して最初の年、大きな体育館を借し切っての運動会に参加させられた。全社員
が紅白に分けられている。その分け方を見て、ハッとした。社内で可愛いと言われて
いる女性たちが、全員同じ組に入っていた。おおかた、運動会を仕切る男性社員たち
が面白がってやったのだろう。
 こういう微妙なことは、表立って口にする者はいない。当の女子社員でも、気がつ
かないひとも多かったかもしれない。しかしわたしはすぐにわかった。そういうこと
に人一倍へ敏感だった。
もちろんわたしは「可愛くない」組だ。走るのは得意だったが、謝り当てられた借
り物競走で売っているとき、自分がみっともないアヒルになったような気がして、心
が冷えた。
 会社は、それまでの自由を雰囲気の事務所とは遠い、男性社会で生きることの大変
さを突きつけられる場所だった。忘年会、新年会でお酌をするのも、運動会同様に閉口
した。狭い座敷の間を行ったり来たり、膝をついてお酌しようとしても、酔ったひ
とたちの間から弾き飛ばされそうになる。つくづく、向いていない。ため息が出た。
しかし反対に、ちんまりとした仕草でくるくる動き、気働きもよく、笑顔を絶やさな
い女子社員も必ずいた。たいていは小柄な子だった。
 わたしも、わたしのからだも男社会にはフィットしない。男たちは、まるくて小さ
くてやわらかいものが好きなのだ。
 その感覚は女のわたしにもよくわかる。腕の中にすっぽりと収まる大きさ。自分た
ちにはない滑らかな曲線だけでできたからだ。そしてやわらかく、いい匂いがする。
永遠の八千草薫である。歳をとっても吉永小百合である。どんなに時代が変わっても、
日本の男たちはこういうタイプの女が好きなのだ。
 わたしは立っているだけで威圧感があった。黙っていてもふてぶてしいと言われた。
それは、体型だけの問題ではなかったかもしれない。好かれないに違いない、という
思い込みがオーラとなって発散され、ひとに伝わり、その通りのことが起こる。大き
いということは、何事も増幅されて相手に伝わるから、心の中の悔しさも怒りも嫉妬
も人一倍強くひとに感じさせてしまったのだろう。
 もし、まるく、小さく、やわらかく生まれてきたとしたら、もう少し楽に、いい性
格で生きることができただろうか。そう思うと、なぜ女に生まれてきてしまったのか、
と怒りにも似た感情が湧き起こるのだった。
 女であるから否定される。男に生まれていたら、もっとのびのびと、気持ちよく「い
い男」となって生きることができたかもしれない。十代の終わりから二十代にかけて、
女であることは、まるでサイズの合わない服を着ているように違和感があった。


感じるからだ|光野桃
まるくも、小さくも、やわらかくもなく