今年の目標

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


ということで私も今年の目標を考えてみました。



「他人と暮らせる人間になる」


・・・は?


だってだって、私ようやく気付いたんです。
そうか、結婚結婚って頭の中では盛り上がってるけど、冷静に考えると私って(実家を出てから)他人と暮らしたことがない・・・ていうか、無理じゃない!?


あまりにも厳しい現実に今まで目をそむけてきたけど、考えてみたら最初に直面する超難関。


「もしもし」
「はいはい」
「あの、オタクに結婚なんていらなくないですか?」
「・・・そうかも」


・・・困った。すごい困った。


ま、そんな心配は心配が必要になったときにすればいいんですけど(笑)


冗談はここまでとして。
(結構深刻に悩んでるんだけど。)



真面目な目標は「整頓」


今年はいろんなこと整頓したいです。
今流行りの断捨離。
部屋はもちろん、手帳の中身も、頭の中も、なりたいもの、手に入れたいこと、自分に出来ること、出来ないこと、身体、食生活、健康。
全てシンプルに整頓してスッキリしたい。
とっちらかった心も一つに統一したい。
求道者のようにストイックに生きたい。



もう一つ、上手く言語化できないので、ぼんやりした書き方ですが。


昨年末、このサイトを読んで私、結構目からウロコだったんです。


http://www.citywave.com/love/goodwill/2010/12/01.html


ぐっどうぃる博士・・・色々アレだが、書いてることはかなり正しい。
ほぼ全文引用します。


スイス出身の哲学者アラン・ド・ボトンは、市場原理主義の働いている現代では、人は常に相手の価値を打算的に見積もっていると言っています。彼は、その原因として「人々に時間がないこと」そして「人々が成功も失敗も、その責任をすべて自分が負っていると信じていること」を挙げています。後者を言い換えれば、「人の肩書きや経済的成功の度合いは、その人の価値そのものであると信じている」ということです。彼は次のようなたとえ話をします。われわれが何かパーティーに参加して、見ず知らずの誰かと話すことになったとき、相手の肩書きをまず知ろうとします。その肩書きが立派であれば喜んで話を続け、イマイチなら急に腕時計を見始めます。時間の無駄と感じるのです。人は限られた時間の中で、目の前にいる人の“価値の有無”を素早く判断しようとします。このような社会においては、すべてを打ち明け合う深い関係は築きにくいでしょう。なぜならこのときぼくたちは、互いに相手を、人ではなく「自分の欲を満たす商品やサービス」として見ていて、同時に「自分は相手の欲を満たすための商品やサービスにすぎない」と薄々感づいているからです。


これ!すごい!!
本当にそうだと思う。
そして私は人間を商品としてしか見てない市場原理主義の豚だと思った。
婚活だって同じ。
相手を商品として見てる。
自分も商品として見られている。


こういうのをね、どうにかしようと思った。
まずは他人に優しく出来る人間になろうと思う。
これが一番難しい目標かもしれないなぁ。