転ばぬ先の経済学

図書館でたまたま手にした「転ばぬ先の経済学」という本が面白い。
経済学と銘打ってはあるが、ロジカルシンキング行動経済学を足して2で割ったようなライフハック本である。

この本には知ってる人は知ってるんだろうけど、知らない人には目から鱗が何枚も落ちるようなコネタがぎっしり詰まっている。つまりすぎてて話がとっ散らかって著者にも収集がつかなくなってる風味すらあるが。


素晴らしい本なので、無教養だと自覚のある人には素直に一読の価値があるとオススメしたい。
但し、注意点もある。


根が素直な私は(笑)著者に説得されまくりで、読んでる間私はネズミ講に勧誘されてその気になってるネズミそのものだったのだが、後で冷静にもう一度読むと「それはどうなの?」っていう話が結構ある。


特に私が読んでる最中に一番感動したのは「人間の生命の価値には限界がないのか」という話。
人の命は地球より重いとかなんとかいうやつ。

それについて著者は

もし人の生命が本当に無限の価値をもつのであれば、職業などは持つべきではない。
仕事をする以上は時間を金に換えることになる。
人間の一生が無限の価値を持つのであれば、それを構成する一分一秒も、無限の価値をもつことになる。


とする。(以下、そんな馬鹿な話はないので、世の中誰も命に無限の価値があるって思って行動してないよね、という話になる。)


なるほど。


だけどちょっとまてよ。
仕事ってそもそも時間を金に換えることではない。
労働の成果を金に換えるだけである。
別にオフィスに座ってお茶を飲んでる時間に対価が支払われているわけではない。
あくまでもある一定の成果を生み出す為にオフィスで座ってお茶を飲むことも工程の一部に含まれるから「時給」という概念が存在するだけだ。
そのことと生命の持つ価値との間には何か関係があるだろうか?
それを言うなら全ての生命は等しく無限の価値を持つのだから、全ての生産者と消費者は無限の価値を相殺して終了、じゃないのか?
そして「付加価値」こそが、無限の価値である全ての人間が労働によって生み出すものだ。
動かない機械には何の価値も無いのだ。
そもそもこの著者が最初の方で「マージンに注目しろ」と書いてある。
(あぁそうか、そういう意味では子供を生む機械であるところの女は子供を産まなきゃ無価値なんだな。なるほどな。)


・・・とはいえ、人間の命の価値というものを「金勘定で」考えることのムリムリさ加減がよく理解できる話である。*1
続いて。


ちょっと前に話題にしたマンションを買うべきか買わざるべきかという話のコメント欄でも書いたが、不動産なんてのも金換算で考えてたらムリムリなものの一つだと思う。
その話題の元のちきりんさんの記事にちゅんぷくさんという方が「賃貸家賃はオプションバリューである」と書かれていた。
実はこの本の中にも同じようなことが書いてある。
但し「オプション」が違う。


著者は家を買うということをオプションで考えている。
すなわち、毎月の家賃はその家に住むというオプションを買っているのだと。
イヤなら手放せばいい。
そのときもろもろ余計な金を失うとしても、全体の金額に占める割合からすれば微々たるものだ。

家を買ったからといって、何も30年という年月と、頭金と利息を合わせて最終的に支払うことになる何十万ドルという大金にコミットしたわけではない。
コミットしているのはそのうちのごく一部である。
一ヵ月後に家を売れば、不動産売買手数料や税金などの取引費用を失うだけだ。
(中略)
だから本当は家全体を購入するというより、翌月もその家に住み続ける権利、つまりオプションを購入するのである。
毎月ローンを支払うことで、そのオプションを毎月更新する。その家に3ヶ月住むか、気に入って何十年も住むかは後で考えればいい。

これだけ読むとなるほど、と思ってうっかり不動産屋の店先に立ってしまいそうだ。
だけどやっぱりこれはおかしい。
オプションを買う、その考え方でいうなら、不動産が値上がりすることを前提としていることにならないだろうか。
だってコールを買ってる訳だから。
でもって当時のアメリカは知らんが、少なくとも今の日本では不動産価格は30年後、100%値下がりしている。
だったら、空売りしておかなきゃいけない。
そう、それが賃貸契約だ。
ようは賃貸契約ってのは、文字通り、信用売りの賃借料を支払ってるのと同じなのだ。


かように微妙なところもあるこの本であるが、不確実な人生を彷徨う一つの指針として面白いメソッドが満載なので何度も読み返して血肉にしていきたいと思った次第。


*1:ちなみに私はこの記事に小一時間もかけてしまったよ!あぁ無限の価値がある私の一分一秒が!!w