身体性のある知性への憧憬

ちょっと長くなるけど引用します。

作家どうしの対話でもある、このインタビューを読みながら、文章を書くということのむずかしさについてあらためて考えていた。古川も指摘していた「肉体から小説を作る」という村上の技法である。マラソンをして、早寝早起きをして、夜はあまり食事を摂らないようにして……というように生活を整えながら、小説を書くことのみに集中していく。村上と古川の会話を読んでいると、物語が肉体から生まれていくという過程が想像できるようで、村上がここまでポピュラリティーを獲得できている理由は、身体性のある小説を書いているためではないかという気がしました。


村上春樹の新作、売れてますねぇ。
日曜日のTOEICテストの帰り道に三省堂に寄ったら、「いくわよ」を持ってレジに並んでる人が沢山いました。
このご時世にこれだけ「本」を買わせることが出来るって、やっぱりなんだかんだでスゴイと思う。


そして上記の空中キャンプさんの言う、彼の小説のポピュラリティが身体性にあるのかどうかはよくわかりませんが(というか、小説の身体性って何のことなのか私には理解できないのですが)、単純に私はこういうストリクトな人が大好きなんですね。
なぜなら自分が超自堕落だから。
自堕落にならないで判りやすくストイックな行為を何年にも渡って継続できる人のことを本当に尊敬してしまいます。
そういう男に滅法弱い。


そしてそれこそがある意味私の男運の悪さを物語っているというか。


なぜなら自己に厳しい人間は、往々にして自己に我侭なんです。
もっと判りやすく言うと、自分に厳しいというのは究極の自己愛だと思うんですね。
自分大好き、だから大好きな自分をもっともっと高めたい。
ものすごくナルシスティックな生き方です。
ゆえに自己中。
己の信念を貫く為なら他者など平気で切り捨てることが出来る人です。
ここで言う「切り捨てる」というのは、踏みにじるとかじゃなくて、なんていうのかな、その人の中での優先順位が圧倒的に低位に置かれてしまうということです。
だからそういう男を好きになると、思いっきり振り回されます。
更にやっかいなことに、そういう人って全く一切そこに悪意は無いので、こちらとしては憎むに憎みきれない。
結果、そんなお前にあなたについていきたい私です〜みたいな浪花節の世界になってしまいがち。


結局、男も女も自分大好き!な自分第一!な人間がいろんな意味で幸せになれる気がしますね。
多くの自己啓発本が「自分を好きになりましょう」というのはある意味では正しいと思います。
でもそれは「世界にひとつだけの花」だからオッケーという事ではないと思います。
繰り返しますが、本当に自分大好きな人間って、自分に(というか「理想とする自己像」に)超厳しいんです。
絶対「オンリーワン」だからオッケーとはならない。
私も究極の自己愛を志向していきたいものです。