あたまがわるいということをせつめいしてみる

あぁ私って頭悪いなぁとつとに思う瞬間は、物事の整理が一発で完了できないときだ。
神は細部に宿ると言うが、あらゆる場面でそれが露呈する。


一番わかりやすい例が、部屋のレイアウトや整理整頓。
頭の中で設計図をいくら描いても、結局あれこれ動かしてみて、どうも想像したのと違って、あぁでもない、こうでもないと出したり入れたりしてるうちに、しばらくしてようやく脳の回路が収まるべき場所を見つけ出して、おぉそうか、こうすればいいんじゃん、という最適解を思いつく。
つまり机上でリアルな設計が出来ないのである。


会社で書類を作るときなんかもそうで、フロー図やエクセル表なんかを作ってるときも、最初はやたら細分化されててまとまりがなくて見難いものをしゃかりきになって作ろうとしてどんどんドツボに嵌っていく。
作っては壊し作っては壊しを半日くらいやってるうちに、そうかと思って、ようやく簡素でスマートな形を思いつく。
その思いつくまでのプロセスが果てしなく長く無駄な作業である。


それで思ったのだが、こういう全体像をスマートに配置する能力って数学力と関係あるんじゃなかろうか。
うちの弟はおおよそ頭のキレってものを全く感じさせない人間なのだが、唯一驚かされたのは数学の回答を見たときである。
どうも一度も消しゴムを使った形跡なく、正解までまっすぐな解法を書きあげているのを見て、数学が大の苦手の文系頭の姉は舌を巻いた。
私といえば、ぐちゃぐちゃよくわからない長い長い解法を書いては消し、書いては消し、運がよければ正解に辿り着くというのが定石で、それはそれは汚い回答用紙だった。


数学は才能じゃなくて暗記だと言う人もいるけど、覚えたものを的確に引き出す能力は結局才能なんじゃないかって気がする。
引き出しはいっぱいある、中に道具は揃ってる、でもどの場合にどの引き出しの道具を使うかわかってなきゃ、結局全部引っ張り出して一個ずつ中身確認していくしかない訳で、そういうのを馬鹿というのだ。


ただ細かいことをつらつら述べていくうちに何となく全体を語るというのは、非常に文系的で、偏った表現をすれば、非常に「女性的」ではある。
女の話がだらだら結論が無くて細かいというのは全くそのとおりで、しかしあながちそれを「馬鹿」と責められねばならないようなものでもないかもしれない。
だいたい女というのはそうやって「あぁでもないこうでもない」と言いながら、最後にはすっきりしてる(解決してる)のであるから。
これを私は「デトックス的思考」と呼びたい。