ボクのニホンを守って

Twitterをやってると、たまに見知らぬ外人からフォロー依頼がくる。
私はつぶやきの公開を限定してるので、フォロー依頼が来ると、必然的に素性を確認しにそいつのホームに行かざるを得ない。
そして結果的にADを読まされることになる。


こういう商売を思いつく人って、ほんと頭いいなぁ・・・といつも感心する。
これがメールなら、件名や奇妙なメールアドレスで、内容を見ることもなく即効削除できるのだが、なまじTwitterのようなSNSだと妙な下心が出るんだよね(笑)
(蛇足だが、mixiではそういうのってまず来ない(たまーにコミュ経由ではくるけど)。
それってmixiの通報制度がしっかりしてるからなのかしら・・・?)


で、そんな広告リクエストの主に対して、フォローしてる馬鹿が必ず一定数いるのが本当に不思議だ。
あれは世に言うサクラなのだろうか?


それにしても、ホッテントリにもなっている渡辺千賀さんの「海外で勉強して働こう」という記事を読んだときにも思ったのだけど、こういうあくどい商売すらも、英語が出来るか出来ないかっていうのはどうしようもなく大きな壁になる。
ちゃんとした英語が出来れば、世界中の馬鹿に広告を売れる。


はてなのブコメには茶化して書いたけど、実際、日本がバーヤーだとしても、残念ながら私はもうこの国から逃亡できるほど若くないし、大多数の日本人もそうだ。若くないという意味において。
要介護の老人たちを置いて異国で働くってのは、千賀さんが限定したように*1、親が若くて自分も身軽な若者しか物理的にムリなのだ。
まして、海外に留学して現地で就職できるほど賢くない、という意味なら更に限定される。つうかミクロだろ。


したらばこの国に居ながら世界をマーケットにするには最低英語くらいは出来ないとってことになる。
のんびり小学校に英語教育を導入するかの是非を議論してる時間なんてないんだよ、ほんとに。


でもさ、文科省はともかく、教育委員会のメンバーのレベルを考えるともうこの国オワターだよな。


いきなり話を変えるが、過疎化の進む地方の自治って本当にヤバイそうである。
先日私の実家がある市(市町村統合で市になった、実態は以前「郡」であるムダに面積だけがデカイ行政区)の市議会選挙が行われたのだが、伝え聞く当選議員のプロフィールに眩暈を覚えた。
いや、別に学歴や職歴が全てだといいたい訳じゃない。
第一、故郷を捨てた人間にアレコレ言われたくもないだろう。
でもさ、町内会の寄合じゃないんだよ・・・。
仮にも市議会議員で、大卒が一人もいないってどういうこと?*2
もちろん高卒=馬鹿ってことじゃない。
問題は、高卒だと、若いときに都会の空気(笑)を感じる機会も少ないし(まぁ就職で都会に出ましたって人もいるだろうけど)、大学時代のコネ(つまり日本の大企業でグローバルに働いている友人)が無い、つまりちょっとばかり市井の人間より目が外を向いてる可能性も低いんでね?ってことだ。
そんな人たちが集まって今後の(過疎化が進み、大した産業も無く財政難の)市政という、かなーり重たい問題を話し合うのである。
結構暗くなる話だ。


日本は絶対に真に優秀な人がいなきゃいけない場所に優秀な人間がいない国だと思う。


政治の場とか、会社の上層部とか、教育の現場とか、そういうとこは未来のドラフトを描く場所だ。
まともなドラフトが描けなくて、どうしてまともなナニモノかが出来上がっていくだろうか?

*1:もっとも彼女の年齢制限の意味は主に頭の柔軟さと就職機会の観点からなのだけど。

*2:議会全体でいない訳じゃなくて、今回当選した議員の中にいなかったということ。あと、ちょっと煽り気味に書いたので補足すると、市議になるような年代の田舎の人は貧しさゆえに学校に行けなかった地頭の良いひとは結構います。