オリンピック雑感

PCのチューナーが壊れた為、本格的にテレビが観られない生活が続いてます。
唯一の接点はP2Pでの視聴。
これがしょっちゅう落ちるので、結局まともには見られないのですが。
まぁ対して不便もありません。


さて、そんな中でオリンピック。
北島の泳ぎだけはYouTubeでチェックしましたが。
今回、アメリカにはこんなすごい選手がいたんですね。
ダラ・トーレス選手、なんと41歳!
水泳選手の寿命は短いイメージがあったので、余計にびっくりしました。
そしてこの研ぎ澄まされた肉体。
本当に美しい・・・。
いやはや、学ぶべきところは大きいです。
マドンナといい、この人といい、アメリカ人の中年女性のパワーってすごいね。
考えてみたら、SATCだって、主役の女性たちってアラフォーなのに、やってることはほとんど20代のOLでしょう。
「いくつになっても女を諦めない」なんてコピーが浮かんできます。



オリンピックがらみでは、少女のクチパク騒動がありましたね。
あれに対するバッシングは、私は「なんてセンシティブ」って思いましたねぇ。
「裏方の少女の心に傷が残るだろう」とか。
そうだね、でもね、あのくらいの年の子は、かなり冷静に自分を客観視してるよ。
自分がお姫様になれるタイプかどうか、日常の中で傷つきながら学んでいきます。
それが社会性ってものなんだから。


私は物心ついて初めて沢山の他人と接した幼稚園という場で、「あ、私って実はかわいくないんだ」ということをはっきりと認識したときのことをありありと覚えています。
それは、あるかわいい女の子が、まわりの女の子たちから、王冠をプレゼントされてお姫様ごっこをしてるのを見たときなんだけど。
それが自分じゃないことが、最初不思議で仕方なかった。
「あれ?私、かわいいはずなのに(祖父母や親戚にかわいいかわいいと注目されて育ってるからね)、なんで私じゃないの?」
もっと言えば、私も含めて「みんな」じゃないことが、不思議だった。
みんなお姫様じゃないの?
どうして自分以外の人間をお姫様にしてこびへつらって楽しんでるの?


もちろん、「あぁ、私って本当はかわいくないんだ!」ってことに気づいた時は、本当にショックだった。
まして、それを大人に規定されることは、ものすごく傷つく。
(それも何度も経験した。)
だけど、やっぱりいつかは必ずそれを思い知るのです。
ただ歌が上手いだけでは歌手になれないことや、ただ美人なだけでは女優になれないことを。
少しくらい歌がうまくて美人でも、やっぱり芸能人にはなれない人が大半であることを。
それが早いか遅いかだけです。


大丈夫、そのことが、少女の全人格を否定することにはならないですから。
そんなことよりも、周りの人に愛されて、自分の存在を肯定されてると安心して育つことの方が何倍も重要なんです。
才能を称賛されるかどうかは、肯定感を得られることとはまた別のことなんです。
(私自身は経験上知っています。)


ところで、中国において容姿がいかに重要であるかという例のひとつとして「中国人は身長を採用基準にする」そうですね。
この記事のコメントによると、以前は人前に立つ仕事だけでなく事務職などでもそうだったとか。
それで納得しました。
以前、NPRを聴いていた時に、中国人の大学生の就活の様子が紹介されてて、その中で「僕は身長が2センチ足りないから」というコメントがあったんです。
身長?なんだそりゃ?って思ったんですけど。
そういう訳だったんですねー。


ちなみに私は165センチ超えてるので身長基準はクリアしそうですが、顔審査で落とされそうです・・・。


日本に生まれてよかった〜! \(^o^)/(山本高広風に)