あたしが大嫌いな私



ある精神科医の記事にどうしてもつっこみたかったのだが、はてブの枠には収まりきらないので、ここに書く。


自分が好きになるために、何が必要か (2012年1月中間報告)


自分を好きになるライフハックがつらつらと書き連ねられているが、十年かけた研究と実践の成果がコレかと思うと寂しい気持ちになる。


自分が嫌いってことは、そもそも治せるような何かなのか?
(ゲイは精神の病だから精神分析によって治せると言われていた時代があったことを思い出す。)


第一「他人と比較して劣っている自分が嫌い」なのだとしたら、あらゆる面で世界の頂点に立たない限り、自己嫌悪は消えない。
「自己侮蔑や劣等感の強い」人なら尚更だ。


でも本当はそうじゃない。
「自分が嫌い」というのと、「自分に自信が無い」ということは似てるようで別のものだ。


だから「自分が嫌い」と騒ぎ立てる人の大半が、平気で自分の分身である子供を作る。
彼らは自分が嫌いなんじゃない、自分が大好きで、大好きな自分が社会的にネグレクトされる存在であることが辛いだけ。
だから大抵は、家庭という社会の中で圧倒的に自分を必要としてくれる誰か(=子供)がいて、日常に忙殺されてって、何だかんだで気付くとそういう思春期的なうじうじの大半は消える。
そんなこんなの一通りが大抵30代には終わってる感じ。


だから、記事に挙げられたハックは「三十代を迎えても・良い職業に就いても・伴侶や家庭を持っても、自分のことが好きになれないまま人生を歩んでいく」人には何の役にも立たないだろう。


「自分が嫌い」なのは「他人から必要とされないから」でも「他人より劣ってるから」でもない。
自分が嫌いな人は、だいたい他人の事も嫌いだ。
嫌いだからこそ、嫌いな他人に劣ることが尚更許せない。
もっと言えば、嫌いなのは人間そのものの存在だ。
自分を含めて、世の中の全員が「生まれてきてすみません」な存在だと思っている。
つまり、どこかで完全無敵な何かの存在を信じている。
(だから不完全であることを許容できない。)


自分が嫌いなら嫌いでいいじゃない。
それが苦しいなら、諦めるしかないじゃない。
自分に期待することを諦める、他人に期待することを諦める。
死ぬまでの時間の暇を潰して、喰って出して寝ることが即ち人生と諦める。
そして、心の底では自分のことが好きで好きでたまらないという真実を、諦めて受け入れる。


近況:
最近女子とかモテとかに興味が無いので、日記を書く動機が見つかりません。
女はこうしてオバサンになっていくのでしょうか。
宇野千代の爪の垢でも煎じて飲んだほうが良いですかね。