結婚の必然

先日の小倉千加子の講演がきっかけで、彼女の少し前の新刊「結婚の才能」を読んだ。


結婚の「才能」というのは、なかなかに含蓄がある。


その前、吉田戦車の嫁になった漫画家の伊藤理佐と、直木賞作家の山本文緒という、晩婚再婚ネタで(も)喰ってる二人がタッグを組んだ「ひとり上手な結婚」という本を読んでいた。


「結婚生活うんぬんの前に、私は結婚相手がいないのですがどうしたらいいですか」という40代男性からの相談に、


「運動能力と同じで、結婚できてる人は結婚能力が高いんだと思えば?
でもやる気になって努力すれば大抵の人はできる、その努力をしないのは要はそんなに結婚する必要がないんでしょ?」


というようなことを山本文緒が答えてて、いやもう全くごもっとも、と納得してたのだ。


昔の人は誰でも結婚できてたから、親達は子供が結婚できるのが「当たり前」=「人並みの能力」くらいに思っている。
要は運転免許と同じ。
ちょっと時間のかかる人もいるけど、まぁ日常生活を不自由なく過ごせる能力があれば誰だって取れると。


ところが今の世の中は親たちが結婚した当時とは全く状況が変わってて、結婚は結構な才能が必要とされる「特殊な技能」になっている。


さて、先の小倉千加子の本であるが、「結婚の条件」から7年後に上梓された。
あとがきで小倉氏が書いている。


「この7年間で、私が知る範囲では2人が結婚した。」


衝撃ではないだろうか、この数字。


世界が狭い私のような人間の話ではない。
小倉千加子である。
結婚ネタで(も)喰ってる人間が、である。


しかし!


考えてみれば、現にこの私が結婚していない。
あれから7年も!!
そのほうがよほどの衝撃だ。


実は私が「結婚の条件」を読んだのは、ある人にこの本を頂いたからである。
それは週刊朝日の記者の方で、私が当時書いてたブログを面白がってくれたその人の取材を受けた際に、「面白いから是非読んで」と頂いたのだ。


記事の内容の詳細は忘れてしまったが、テーマは結婚についての親子の葛藤と奮闘だった気がする。


つまり「葛藤や奮闘」があるほどに、親はまだ子供の結婚が「ありえるもの」として期待していた。
期待と焦りがあるから、ガチンコで、それはそれは辛いバトルの日々だった。


今では親子関係はすっかり穏やかなもので、母は私の身を案じはするものの、なるようにしかならないと諦めも入っているし、私は私で、親に心配をかけてしまう自分の不甲斐無いさにこっそり涙が出る日も無いではないが、親子で会話する度に言い合いになって泣きながら電話を切るというような日々はすっかり遠くに行ってしまった。


話を戻すと、ひとつ言えることは、「結婚の才能」がある人は、そもそも小倉千加子に興味など持たないのではないか?ということだ。
いくら高齢での婚活が困難を極めるとはいえ、2人というのはいくらなんでも統計に合わない。
この「2人」という数字が物語るものは、もっと別のところにあるように思う。


なんと恐ろしい・・・地獄の黙示録である。