失恋の癒し方

先日受験したTOEICの結果が出ました。
昨年と較べて150点アップしました。
目標にしてた900点台がリアルになってきた*1ので、最近完全に失っていた英語へのモチベーションがちょこっとだけ戻ってきました。
しかし点数が伸びても英語力が伸びた実感ゼロ。
TOEICなんて所詮運転免許証みたいなものですね。
出来て当たり前、こっからスタート、みたいな。


しかしこの1年間を思うと感慨深いものがあります。
英語の勉強は昔から気休め程度にやってましたけど、この1年は今までよりちょっとだけ力を入れてましたから。


・・・全ては失恋の痛みを忘れるために。


そうなんです。
私を捨てた人は英語が大好きで、むちゃくちゃ勉強してる人でした。
(どうも私は昔から英語が得意な人、そこにself-confidenceを置いてる人に魅かれるクセがある。)
私は失恋した最初の頃、まるで仇を打つかのように英語を勉強してました。
それには三つの意味があったと思います。


ひとつは彼くらい出来るようになって、見返してやりたいという気持ち。
付き合ってる頃は馬鹿馬鹿しいと思いつつ、そこまでの情熱を傾けてひとつのことに打ち込む姿勢をとても尊敬していました。
いや、今でも尊敬してます。
私が人生で出会った中でも一番か二番かというくらい賢い人だったから。
(私に理解できる範囲の賢さだったという意味では大して賢くなかったのかもしれないけど・・・笑)
彼の自慢の一つはTOEICのスコアで、だからこそ、そのつまらない自信を「この程度のものでしょ」と打ち砕いてやりたいような、イヂワルな気持ちです。


もうひとつは英語を勉強してると、彼を近く感じたこと。
私に本当の英語の勉強の仕方を教えてくれたのも彼だったし、彼を身近に見て初めて、受験英語じゃなく本気で英語を身に着けようとする人たちがどういう勉強をしているのかを知りました。
どれくらいの膨大な時間をかけて、地道な泥臭いみっともないくらいの努力を続けているかということを。


そして何よりも時間潰し。
誰かとおしゃべりしたりすることは苦痛で、この1年間の大半は私は文字通り「死んで」ました。
気持ちが沈んで仕方ないから、とにかくにかく何か目的を持って黙々と(楽しいことじゃなくて、淡々と)時間を潰すことが必要でした。


その時間の積み重ねが、結果として(まぐれだとしても)返ってきたのが何か不思議な感じです。
「全ての経験に学びがある」でしょうか?(笑)


英語を勉強する動機って色々あると思います。
最近楽天ユニクロを例に引き、社内の公用語を英語にするという主張が話題になってるのですが、仕事で使わざるを得ないっていうのはなかなか良いモチベーションになると思います。
というか、オマンマかかってる訳ですからね。お尻に火がつきます。
私の会社もそうなればいいのにって思うくらい。


でもそういう燃えるような情熱を傾けて勉強するのもいいですけど、英語の勉強って本当に砂を噛むような面白くない努力なので、私のように「淡々と暇を潰すように勉強する」っていうのも逆説的ですが効果的なのかもしれないですよ、とムリヤリまとめてみました。

*1:あ、この書き方だと900点超って思われちゃいますね・・・すみません。900点台という目標がリアルになってきたってことです。まだ800点台なのです。そんなもんですってば。