2010年6月9日 ひふみよ

はじめに:
雨宮まみさんがオザケンのコンサートの記事を書かれてるのを読んで、オザケンに重ねて自分語りウゼーって思ったのですが、自分が書いてみたら前編コレ自分語り(しかも長い)になってしまい、苦笑しました。
以下は「ひふみよ」についてはほぼ何も語ってないウゼー自分語りです。

====


会場につくまでに、NHKホールに向かう女性たちはほとんどが同世代で、彼女達がみな、10年以上の歳月を経てここに集まっていることに感慨を覚える。
少したるんだ頬の線が確実に私たちの加齢を感じさせる。
10年という月日の重さ。


ライブは流れ星ビバップで幕を開ける。
この曲を生声で聴く日があろうとは。


昔、「LIFE」のツアーがあった頃、私はその会場に足を運ぶ気にどうしてもなれなくて、実は正式なツアーには一度も参加したことが無い。
フリッパリだった私たちの「オザケン」が、いつの間にかみんなの「王子」に変わってしまって、斜めに構えて生きるのがかっこいいと信じていた当時の私には、赤バナをつける女子の集団に参加するなんて、とても耐えられなかったから。


それでも王子は*1私の王子でもあった訳で、ひとり暗く、オールナイトニッポンを120分テープに録音して宝物にしてたり、ライフをそれこそレコードなら擦り切れるほどに何度も何度も聴いて、どれほどの切なさに身を焦がしたかわからない。


当時私はボーイフレンドもいなくて、引きこもりみたいな生活で、未来は完全に閉ざされていて、暗い光の中のないトンネルをはいずるように生きている状態で、オザケンが提示した「愛し合いされ」生きる「ライフ」は、キラキラと眩しすぎて、自分とは掛け離れた「別の人生」だった。


いつか自分にもダッフルコートを着たキミと、原宿辺りを風を切って歩くことがあるのだろうか?
それはささやかだけど、叶えられそうもない夢だった。*2


オザケンの歌はいつも私の人生の横にあった。
旅をするときはいつもヘッドホンからは「僕らが旅に出る理由」が流れた。
本当にJFKに降り立ったときは、ドキドキが止まらなかった。
それでますますこの曲が好きになった。


今の街に引っ越して、初めて自転車で晴海の辺りを走った時、ブルーの標識に「晴海ふ頭」という白い文字を見つけて、思わず涙が出てしまった。
それまでずっと晴海ふ頭っていう場所がどこにあるのかすらよく判ってなかったから。
この曲は私にとって「LIFE」の裏フェイバリットだ。


ライブの間に、何度か朗読が挿入される。
その中に、街に流れる、街とともにある大衆音楽への言及があった。
自分の音楽も、この町の大衆音楽であることが出来て嬉しいと、彼は言った。


「LIFE」は街の音楽だ。
だから街のそこかしこに、「LIFE」の思い出がある。
この作品を愛してやまない私の気持ちは、この東京の街を愛してやまない気持ちと同じところに泉がある。


オザケンフリッパーズの解散から初めて姿を現した日々谷野音から今日までの人生を彼の音楽に重ねて、嗚咽が止まらない。
泣いているのは音楽に感動したからというよりも、自分の道程を改めて振り返っての感慨だった。


思えばそこにはいつも彼の音楽が道標のようにあって、そういえば、私は毎年4月14日の彼の誕生日になると、自分の年に彼が何をして、何を考えていたのかと振り返って、その時の自分の立ち居地を確認していた。
たかがポップミュージックのミュージシャンにそこまでの大きな意味を持たせるのは、理を知る人でなくても馬鹿馬鹿しい偶像崇拝でしかないと思うだろうけど、その馬鹿馬鹿しい儀式が私にはやめられなかった。


ある日オザケンは私たちの目の前から一切姿をくらまして、私は道標を失った。
だからなのか、それともたまたまそんな年頃だったのか、私の30代にオザケンという道標はいらなかった。
あったとしても・・・いや、そんな仮定は全く想像できないくらい、彼が姿をくらましたことは必然のように感じる。


13年の月日を経て、彼は少年からオトナの顔になって戻ってきて、その歌はより力強く、彼自身は何か在野の文化人類学者のようになっていたけど、きっとその間にはとても深い悲しみやブルーがあって、だから彼はライブの最後に関係者に感謝の辞を述べながら涙をこらえる。


きっと彼女は涙をこらえて 僕のことなど思うだろ
いつかはじめて出会った いちょう並木の下から


もし君が側にいた 眠れない日々がまた来るのなら?
弾ける心のブルース 一人ずっと考えてる


She said I'm ready for the blue


(いちょう並木のセレナーデ)

*3

*1:確か満里奈が「我がまま王子」と呼んでた。

*2:笑っちゃうことに、結局未だに叶えられていない。ダッフルコートってもうここんとこずっと流行らないよね(笑)

*3:天使たちのシーン」で耳を傾けていたラジオからの”スティーリー・ダン”は今回、”いちょう並木”に変わっていた。