すーちゃんの恋・・・というか略奪愛?
益田ミリさんの「すーちゃん」シリーズの新作が出ました。
すーちゃんは元々あんまり恋愛に縁が無い感じだったので、ずっとそういうキャラ設定でやってくのかな、って思ってました。
で、内容はやっぱり「あぁ、そういう感じね」という全く裏切りのない展開。
端的に言うと、面白くない。
すーちゃんシリーズは「結婚しなくていいですか?」がピークだった気がするなぁ。
私の中で。
このシリーズ本を称して「どうしようどうしようと言いながら、何も変えようともしない人たち」と唾棄してた人がいたけど、その通りなんだよね。
でもさぁ、人間って、基本的に安定したい生き物じゃない?
ホメオスタシス?
変わらないことが基本で、変化はエッセンスなんですよ。
だから変えたくないと思うこと自体はそんな、別に批判されるべきものでもないと思うの。
だけど変わらざるを得ない状況ってのもあるよね。
どうしても手に入れたいものがあるとか。
そういう時、変わらなきゃいけないことはわかっているんだけど、変えることが怖くて仕方ない、いや、面倒くさくて仕方ない、という人もいる。
登場人物たちは別に何にもしてない訳じゃない。
小さく変化を起こそうとしている。
さわこさんはお見合いをしたし、すーちゃんも転職した。
ただその結果何かが大きく変わったかというと、外から見てると、ほとんど何も変わらないんだよね。
だって結局主人公が変わらない訳だから。
そうそうドラマチックに人生のストーリーは変わらないよね。
うん、やっぱりストーリーって外から与えられるものじゃなくて、主人公によって作られるものなんだなぁと思う。
で、こっからネタバレなんですけど。
あの終わり方はやっぱり次があるよねぇ。
どっからどう見ても、すーちゃんと土田さんはお似合いでしょ。
やよいちゃんって土田さんと全然合ってない。
それは多分もう最初のキャラ設定時から意図的にそうしてあったと思う。
あんまり本に興味なさそうだし。
やよいちゃんは普通にいい人と出会ってお嫁に行きたいなぁ・・・って思ってる、雑誌で言えば「more」を読んでるような子だ、多分。
でも土田さんは本とかいっぱい読んでて、結構男の子にしては内省的で、興味を持つのはすーちゃんみたいな、色気は無いけどはきはきしたボーイッシュないい子。
つまり、実は土田さんはあんまり「普通」ではない。
それでも私の読後感は「いやだなぁ・・・」という不快感だった。
それは最終的に土田さんがやよいちゃんと別れてすーちゃんと付き合うと思ったから。
やよいちゃんは全く何の非もないのに、運命の女性と出会った土田さんに捨てられちゃうんだよ、結婚適齢期の大事な時間を、ふらふら煮え切らない男に付き合わされて!!!(感情こもりすぎ)
許せないね、全く許せない。
彼女がいる男を食事に誘うすーちゃんに対しても腹立たしくて仕方ない。
私いい人ですって顔して他人の男にちょっかい出すなんて最低だわ。
・・・という反応がいかに子供っぽくて小町的でくだらないか、重々承知の上で、でも私の中の自己中心的正義感がそれを絶対に許せないのです。
他人のものを奪って幸せになれる人間なんているけどいないの!
因果応報なんてないけどあるの!
神様なんていないけどいるの!
いつまでたっても結婚できない女性の特徴
結婚してない(できてない)、我々おばちゃん仲間を見てると、気が合うか合わないかとか関係なく、おどろくほど基本的な価値観が似かよっていていることに気づく。
特に、長期にわたってパートナーがいない独身女性は、以下の特徴をもれなく持っている。
まず、ひとつの特徴は
- 被害者妄想
だからといって、自己評価が低いという訳ではない。
むしろ自己評価は不相応に高い。
だからこそ「こんなに価値のある私が何故もっと優遇されないの?」的、被害者妄想に陥る。
いやむしろ「(私は本当はもっと価値のある女なのに)○○がダメだから(というだけの理由で)愛されない」と言った方がわかりやすいか。
もうひとつの特徴は
この悲観主義が最も良く表れるのが、子供を持つか持たないかという点。
結婚してない女性には
「高齢出産?ありえないでしょ!ダウン症の子供の確率を知ってるの?」
という意見の人が多い。
もちろんこれは独身者だけでなく、大抵の既婚者の女性も当然共有している感覚だが、それでも結婚している女性は
「産んでみなきゃわかんないじゃない!それに障害がある子供は育てられる人のもとに生まれるというし。何とかなるわよ。」
とおおらかな人が多い気がする。
そして最大の特徴。
というか、この性質のせいで結婚出来てないと言った方が正しいか。
- 一人遊びが好き
もう間違いなく、ほぼ全員が
「毎週デートするとか面倒くさい」
という。
もしくは
「一人でも全然楽しいし」
とか。
負け惜しみではなく、心からそう思ってるらしいのが始末に負えない。
これは結婚できてなくても常に彼氏がいるような女性には当てはまらない。
卵が先か鶏が先かわからないが、ひとりでいても楽しい、むしろひとりでいる方が楽しいくらいだから、どうでもいいような男とのデートに週末を潰されるのは耐えられない。
デートに出かけなければ交際も始まりようがないので、おのずと恋愛から遠ざかる。恋愛から遠ざかれば、まして結婚など、起こりようもない。
「でも、寂しくない?」
と振ってみると
「うーん、家族(OR友達)がいるし。」
というお答え。
そう、特徴としては「パラサイトシングル」率の高さも当然挙げられる。
パラサイトシングルの何が問題かといえば、下手な男と結婚するより、実家にいた方が経済的に安定してるから、と言われるが、そっちよりもむしろ、親がいれば寂しくないから、という弊害の方がはるかに大きい。
女友達が多い女性も同様である。
大体、まともに話し相手にはならないわ、相談相手にも向いてない、買い物に付き合わせてもすぐ帰りたがるし、甘いものは食べたがらない・・・と、男は暇つぶしの相手としては全く実用的でない。
まぁなので、結婚してない女が不幸かといえば、案外そうでもなさそう、というのが今日の結論。
おばちゃん、目がチカチカするんです
本を電子化しているのだが、本当に電子化した本を私は愛することが出来るのかというのは、なかなか拭い切れない懸念である。
何しろ電子書籍によるディープな読書体験が無い為に、それを信じきれない部分がある。
もしかしたら、私の世代でも、電子辞書などを使い慣れている人には抵抗が無いのかもしれない。
今回、本を捨てていく中で、なんとなくずっと手元に置いていた受験時代の英語辞書を紙切れの山の中に紛れ込ませた。
沢山の蛍光マーカーが引いてあり、自分で思ってたより案外勉強していてびっくりする。
とはいえ、では辞書を引くことで英単語を覚えたのか?といえば、私に関しては否で、どうやっても受験必須単語を一切覚えられなかった私を最後に救ってくれたのはゴロ合わせだった・・・本当に、あの本が無ければ今の私はあり得ない。
ゴロ合わせからスタートしても、一応履歴書に書けるくらいのTOEICスコアはあります、だからあなたも諦めないで。
閑話休題。
最近読んだブログ記事で面白かったのが、「プリントアウトした方が間違いに気づきやすいワケ」という記事。
この中で「反射光は批判モードになり、透過光はまったりモードになる」というマクルーハンの説が引用されている。
これは新しい知見であった。
なんと。
言われてみれば、当然、光の種類による脳の反応の違いなどあってしかるべきのような気がしてくる。
そこでこのことについてもう少し詳しく知りたいと思って検索してみるも、同じマクルーハンの実験を引いたものしか見つからない。
ちなみに、私はこの記事の中に引用されている丸田一という方の説明の方が、先のブログに引用されている内容よりもよりわかりやすいと思った。
http://www.kotono8.com/2009/12/28amazon_kindle.html
マクルーハンの本自体が1992年に書かれているのだが、それ以降、この手の実験をした科学者はいないのだろうか。
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私が興味があるのは、間違いを見つけるとかいうことよりも、記憶に及ぼす影響である。
何となく、電子の方が脳に定着しにくいような印象があるのだが、それはアナログ世代の杞憂だろうか・・・。
失われた20年と音楽という文化
長い間押し入れに仕舞い込んだままのCDを整理していると、いろんな思い出が蘇ってくる。
奇しくも今年はロンドンオリンピックがあって、開会式・閉会式はさながらロックイベントの様であった。
彼方の国ではまだロックが、ポップミュージックが、世界に誇る自分たちの文化の中心軸の一つなのだと(それは監督の個性の部分かもしれないが)私に思い出させてくれた。
私がCDというメディアを使わなった時期ははっきりと意識出来る。
それは「Napster」を契約した瞬間からだった。
Napsterが私の音楽生活に及ぼした影響(後遺症)はあまりにも重く、以降私は新譜を聴くことすらほとんど無くなってしまった。
音楽はただ(同然)で手に入る・・・。
それは、誰とでもやる女を彼女にしたいとはあまり思えないのと同様に、音楽の価値を貶めてしまった。
それは「本を買う」という行為に「BOOKOFF」が与えたインパクトの大きさと同じである。
文化は、それに対する金銭的な対価の大きさ故に価値を持つということも、一方ではあり得るのである。
我々がゴッホの絵の前に立つのは、ゴッホの絵が美しいからなのか、それともゴッホの絵が高額だからなのか、この二つを自覚的にわかつだけの教養を本当に持っていると言えるだろうか。
私の手元にある洋楽のCDは、国内版の値段が1枚2500円。
この値段を見て思わず「高っ!」と呟いてしまう。
でも当時の私には2500円の価値があった。
2500円の栄養剤を耳から注入しなければいけないほどに心が弱っていた。
一方で、しかしどう考えても2500円は月に20万円程度で生活する若者の財布には重たい。
だからこそ、それ(ロック)を自分のアイデンティティと置き換えるという無意識の自己防御が働く。
当時の私は「音楽の趣味が合わない人と付き合う」なんて、とても耐えられなかった。
くだらない音楽を聴いてる人間を心の底から馬鹿にしていた。
音楽は文化であり、宗教であり、価値観であり、「私」だった。
だから音楽には2500円の価値があった。
今の音楽が若者たちにとってそれだけの価値を持ちうるのだろうか。
1000円で買えるアルバムにどれほどの尊さを感じられるのだろうか。
それにしても、「東芝EMI」や「CBSソニー」というレコードレーベルを見るにつけ、日本の電機業界がいかに元気であったかよくわかるというもの。
勢いのある産業は文化を生むし、衰退する産業は文化を切り捨てる。(そうして、最後は自身も滅びるのだが。)
改めて20年という歴史を感じてしまう。
それでも捨てられない青春
自炊を始めると、物を捨てることに対するハードルが若干下がります。
本の自炊をすると、本を分解して裁断しなければならないので、裁断することに慣れていくうちに、捨てることの抵抗がかなり薄まりました。
また、物を捨てる作業を何度かやって、そのたびに再度捨てる判別をすれば、慣れていくことによって、以前は捨てられなかったものが捨てられるようになりました。
http://goldtumitate.blog41.fc2.com/blog-entry-769.html#more
CDのソフトケース化は前からやりたいと思っていた一大事業のひとつ。
考えてみれば、BOSE君の「明日に向かって捨てろ」はかれこれ10年近く前。
この頃は彼がただのギャル好きのおっぱい星人だとは思いも知らなかったよ・・・。
しかし当時は「メディアパス」か「フラッシュ・ディスク・ランチ」くらいしか選択肢が見当たらず。
コクヨS&T CD/DVD用ソフトケース MEDIA PASS 1枚収容 50枚セット 白 EDC-CME1-50W
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見ての通り、どっちも50袋で2000円近くする。
てことは我が家の2000枚近くあるCDを全てソフトケース化するとしたら・・・8万!?
あほか、中野のFUJIYA Avicの店頭ワゴン5枚千円のCDに40円もするべべを着せる馬鹿がどこにいる。
しかし今回改めて探してみたところ、タワーレコードから、500枚9800円というお買い得品が出ていることが判明。これなら2000枚のCDが4万円ですっきり片付く。*1
・・・4万?冷静に考えれば十分高い。
しかしこれに対してあまり疑問を持たない辺りが、自炊効果である。
ちなみにこの商品についての詳しいことは、この記事あたりが見やすいです。
(私はこれを読んで購入を決断しました。多謝。)
http://goodnight-sweetnight.at.webry.info/201106/article_2.html
*1:どうでもいいけどタワーのオンラインショッピングのサイトの使いにくさはやる気無いとしか思えない。まぁ仕方ないのかな、自前のサイトを運営する理由ってもはやほとんど無いもんね・・・。
お台場で乳母車を押しているような人
いわゆる「おのぼりさん」じゃありません。
近所の家賃も階層も高いマンションに住んでて、キャラメルコーンみたいな毛をした小型犬を散歩させてるような人たちのこと。
あの人たちって、実在してるのかな?
いや、してるよね、わかってる。
でもわからないんだよね。
だって私の周りにはいないから。
若いうち(といっても20代後半くらい?)に結婚して、夫の収入だけで家賃(orローン)が20万近くするようなマンションに住んでて、クイーンズ伊勢丹で野菜買って、乳母車押してダイバシティをぶらぶらしてたら一日が終わるような人。
私が知ってる世界って、西日本の山の中で「道の駅」で野菜を買う人か、8時半のダイエーの惣菜売り場で289円の惣菜パックが3割引から5割引になるのを待ってる人か、高円寺のビール瓶の箱を椅子にした焼き鳥屋で一杯やるのが休日の楽しみとか、そういう人ばっかりだよ。
でもいるんだよね、世の中には、そうじゃない人が。
VERYみたいな生活を本気でやってる人が。
いったいどういう職業の旦那さんなんだろ?
東京って、医者や弁護士や、外資系金融や、大手総合商社や、マスコミや、そんな高級とりの職業の人が、結構どこにでもいるありふれた感じなのかな。
まぁこの程度の差を「格差社会」とは言わないんだろうけどさ。
田舎者にはどうしてもこういう華やかさってわからないね。
仮に自分がそれくらいの生活が出来る収入があったとしても、やっぱりそういう生活をしない気がする。
私にとってそれって「日常」じゃないんだよね。
それはもう、氏育ちってやつなんじゃないかと思うんだけど。
だからあぁいうVERY的生活してても頭がおかしくならない「お嬢さん」って、絶対に友達になれないよね。
ミッション系の女子校育ちみたいな。
本当に、あぁいう人たちにとって、私達みたいな人間って、逆にどう見えてるんだろうなぁって思う。
酒井順子がミッション育ちっていうのは、絶対にそうなんだよね。
そうじゃなかったら「負け犬」本は産まれようがなかったと思う。
あの本は、東京育ちの「負け犬」お嬢さんだからこそ書けた本なんだ。
そんな、そこらじゅうで言い尽くされているであろうことを改めて確認しつつ。
世間を知らない
こういう人は婚活を本当にやったことが無いんだろうなぁと思います。
https://github.com/norinori2222/boyfriend_require
Q&Aで「年収・学歴・外見にはこだわりません!」と書いてるけど、ここで上げてる条件満たしてる人ってのは、年収も学歴も外見も標準以上だよ。挙げられた条件が説明変数になっちゃってる。
でもなんか羨ましかったんだよね。
こんな風に無邪気に相手の条件とか言ってみたいなぁ・・・私も、みたいな。
欲しがりません、勝つまででは、みたいな状況を強要されてると、だんだん自分が何を欲しいと思ってるのかすらわからなくなってくるよね。
だいたい、それに結婚しないことが不幸という巨大なイデオロギーって何なんでしょうね。
後、40過ぎて独身だったら一生独身という決めつけとか。
こんだけ世の中に独身女性と独身男性とバツあり女性と男性であふれてるんだから、高齢になったって別に一人で死ぬんだって思い込まなくてもいいはずなのに。
とはいえ、横森理香は「45過ぎたら恋愛とかどうでもよくなる」と言い切ってたけど、本当かしら?
恋愛がどうでも良くなった時こそ、横にいて邪魔にならず、出来れば役に立つ(つまり経済力と家事力?)男じゃないと、一緒になんて暮らせないよねぇ?!