サンクコスト



恋愛におけるサンクコストというものを考えている。

30代も前半までなら、違うと思ったらさっさと次!、一番ぴったりくる相手がそのうち現れるのを待ってればいいだろう。

だが30代後半から40代の女性にとって、一度付き合った男と別れて次の男を探すというのは、あまりにもリスクが大きすぎるような気がする。
付き合った男にかけた「時間」の価値が大きすぎて、8割方間違っていると思われる選択でも、それを手放すという決断まではなかなか思い切れないのだ。

特に、相手がDVとか借金王とか、自分の生命を脅かすような決定的な要因が無い限り、少し「価値観が何となく違う気がする」とか「リストラされてプー(でも労働意欲はある)」とか「家族の介護が必要になった」くらいの、結婚するにはためらわれるが、かといって手放すほどでもない、という微妙な関係を清算するほどの強い動機づけにならないのだろう。

こうして間違った男に対して、貴重な時間がますます無駄に投入されていき、にっちもさっちもいかなくなる。

ということが、今この瞬間にも日本のそこここでありそうな気がするのだが、どうだろう。
とりあえず自分が相談された時には「とりあえずそいつと付き合ってて、新しいのも探してみたら?」と答えるようにしているが、そんな器用なことが出来るなら、アラフォーまで独身だったりしないんだよな、同胞!

自炊始めました



増えていくのは年の数だけで結構!
という訳で、散乱する本をどうにかすべく、電子化を始めました。

試行錯誤すること約1ヶ月。全く終わりの見えない戦いですが、色々気づいたことを自分用にまとめておきます。

  • 揃えた道具

ドキュメントスキャナ
FUJITSU ScanSnap S1500 Acrobat X 標準添付 FI-S1500-A


FUJITSU ScanSnap S1500 Acrobat X 標準添付 FI-S1500-A

FUJITSU ScanSnap S1500 Acrobat X 標準添付 FI-S1500-A

今見たら、私が購入した時より更に値段が数千円安くなってました・・・。
Canon(imageFORMULA DR-C125)とこれとどっちにするか散々迷った半年。
Canonが選択肢になった理由は、

  1. 傾き補正が優秀
  2. 雑誌の読み込み時にジャムが少ない
  3. OCRが早い

というPROSを目にしていたからですが、更に調べていくと、上の2つについてはどっちとも言えないという意見もちらほら。
更に、個人的に最重要ポイントであったOCRに関しては、AcrobatXそのものに機能があり、処理もそこそこ早いということが判明。
結局、周りにCanonユーザーが一人もいなかったことと、Acrobatが欲しかったことが決め手になって、ScanSnapに決定しました。
比較のしようがので、結果満足しています。

裁断機
180AT-P


180AT-P

180AT-P

これに関しては一択です!これ以外の選択肢はあり得ない。むしろ、この製品に出会ったから自炊を始める気になったと言っても過言ではない。
一般的に自炊裁断機についてはPK-513LNが最大シェアを占めていると思われますが、この製品は一言で言えば「ハンドルを畳んで収納できるPK-513LN」。
加えて、黒のボディのデザインもクール。
PK-513LNのオフィススチール家具色のダサさに我慢ならなかった人はきっと沢山いるはずだと思うのですが、どうしてこの製品がもっと話題にならないのか、不思議で仕方ないです。
詳しくは以下のブログをご参照。
http://www.hageatama.org/wp/795
畳んだ状態の大きさもわかると思いますが、丁度タワー型のPCケースくらいのサイズで、しかも9kgと軽い。
目下最愛のツールです。

  • 作業TIPS

私は幸い漫画は持っておらず、もっぱら単行本(ビジネス書やエッセイ、婚活指南書(笑))を自炊しています。
それでも、PDF化って労力に見合ってるのかよくわからないくらい、時間をとられますし、イライラします。
そんな時に出会ったこの言葉。


とにかくきれいでなければ気が済まない、ページが少しでも斜めだと気に入らない人は、自炊が進まないので無理。
自炊は、ある程度は、割り切らないとできないものです。

http://goldtumitate.blog41.fc2.com/blog-entry-286.html#more




・・・正しい。
とはいえ、本好きは大抵、紙の上に整然と並んだ文字というデザインの美しさを愛でているものなのではないでしょうか?
多少ななめってようが、ぐにゃってようが構わん!という人は、私とは本に対する興味の持ち方が違うのでしょう。
不細工は3日で慣れると言いますが、私に関しては全く慣れません。

そうは言ってもアラフォーが相手の顔に注文つけてちゃ一生婚活が終わらないのと同様、自炊作業も多少のゆがみをがたがた言ってたら一生仕事が終わりません。

私が調べ上げた結果、そこそこ納得できた方法を覚書しておきます。

[読み取り設定]

大抵のビジネス書には挿絵や、グラフ、また章のタイトルページの背景がグレーだったりという、無駄なデコレーションがあるものです。
なので、私は全ての本をグレーと白黒の2つのタイプで作成して保存しています。

グレー:スーパーファイン: 詳細設定 文字くっきり:文字列の傾きを自動修正
白黒:スーパーファイン: 詳細設定 文字列の傾きを自動修正

・原稿の向きを自動補正とかすると、上下が逆になったりして鬱陶しいことこの上ないのでチェックは入れない。
・白紙ページを削除すると、ページ抜けをチェックするのが大変になるのでこれもチェックしない。
・横向きに読み込ませるといいという人もいるが、単行本サイズの本でそれをやると、直線がぐにゃる確率が非常に高くなる。
・図や絵のあるページのみグレーで、他は白黒で、という人もいるが、時間の無駄。グレーと白黒、それぞれをスキャンしておいた方がよほど早い。必要に応じて編集すれば済む話。
・白黒で「文字くっきり」にするとくっきりすぎて汚くなる気がするのであえて外す。逆にグレーの場合、「文字くっきり」しないと本当に薄い文字になってしまうことがある。但し「文字くっきり」のせいで、薄いグレーのページなどは色が薄くぼやけることがあるので、(装飾か、文字か)どっちを重視するかにもよる。
・出来上がったものをチェックし、自動修正した傾き補正でかえって傾きが生じているページだけ、傾き修正のチェックを外して再読み込みし、差し替える。

(追記)
・文庫本を白黒でスキャンするときは、色を3段階薄くする。黄ばんだ本もこれでかなり綺麗に仕上がる。
・それぞれの設定を保存しておくととっても楽。


[仕上げ]

こうして出来上がったPDFに表紙だけカラーで読み込んだものをくっつけます。すると見開き表示にしたとき、本を見開きにしたのと同じ状態になります。
日本語の本は大抵右開きなので、Acrobatのプロパティ設定で(ファイル→プロパティ→詳細設定→読み上げオプション)右開きにします。

出来上がったPDFを後で時間がある時にAcrobatOCR処理(ツール→テキスト認識)でテキスト化します。いくつかPDFの出力形式がありますが(設定→編集)、「PDF検索可能な画像(非圧縮)」を選択。おそらくデフォルトは「PDF検索可能な画像」なのですが、これだと、例えば文字と挿絵があるページの場合、思いっきりページが傾いて保存される可能性があります。


今後も何か気づいたことがあれば追加していきます。

それにしても傾きの微修正だけはどうにかならんものかなぁ・・・。


(追記)
・傾きに関しては半オートでの修正をしてくれるフリーソフトもあるけど、JPEGにしか対応してないし、そもそもそれでも全然ダメなケースが多い。

・これはただの雑談だが、本がゆがむかどうかって著書の性格が出てるんじゃないかと思うくらい、ある特定の作者の本が激しくゆがむ。
私は(カミングアウトするの恥ずかしいなぁ)原田真由美が実は結構好きなんだけど(癒される)、原田真由美の本はほとんど傾かない。大抵の本で傾くところでも大丈夫なことが多い。
一方、某「きれいが勝ち」の方、あの人の本は発狂しそうなくらいゆがむ。なんでそんなに?というくらいに。本当に不思議な現象だが事実である。(だったらスキャンしないで燃やしちまえって話なのだが・・・。)


(追記)
[メンテナンス]

読み取った画像に青やら赤やらの線が走る時は、読み取りガラスに糊がついてます。
このガラス面の清掃には「無水アルコール」+「キムワイプ」がセオリーのようですが、はっきりいってこのために滅多に使わないキムワイプなんて買いたくない。(値段じゃなくて、置き場所に困る。)
私は普段から「ステリコット」という消毒用アルコール綿を常備しているのですが、これでふき取ります。今のところ全く問題ないです。
(が、消毒用アルコールは若干水分を含むので適さないという指摘もあるかもしれませんので、あえてリンクは貼らないでおきます。)
清掃すると重送が減ります。「もうパッド交換!?」と思わず、まずは清掃してみましょう。


無水エタノールP 500ml【HTRC3】

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キムワイプ 12×21.5cm /1箱(200枚入) S-200

キムワイプ 12×21.5cm /1箱(200枚入) S-200

最近こんなん読みました



人生に行き詰ると図書館に通い詰めるGrrrlyです。
いつも答えを自分の頭の中ではなく、書物の中に探してしまう。
受験勉強の弊害でしょうか。


他人の書評や、日経新聞の広告欄などで目にして、期待に胸弾ませて予約リストに入れるも、待てど暮らせど順番が回ってこず、半年くらいして忘れたころに手元に届いたのを、気を取り直して読んでみたらあらがっかり。
よくあるパターンです。
最近だと「入社1年目の教科書」とか「40代を後悔しない50のリスト」とか。
前者を何でキャリアの折り返し地点ちかいおばさんが読んでるのかよくわかりませんが。
こういうお手軽マニュアル自己啓発系は絶対無駄だと分かってるのに、ついつい手に取るのを辞められません。


同じマニュアル系でもホリエモンの「君がオヤジになる前に」は面白かった。
為になった、というんじゃなくて、純粋にホリエモンという人間の考察に良い題材だった。

最大の発見だったのは、ホリエモン林真理子の類似性だ。
読んでるうちに、だんだんan-anの「美女入門」を読んでる気がしてきた。
俺は身体鍛えてて、美味いメシ喰ってて、案外女にモテて、とっかえひっかえやってるんですよ、みたいな、突っ込みどころ満載のオレ自慢の数々。
ほんと、真理子にそっくりだわ・・・。
最初のうち、結婚や家庭を全力で否定してるくせに、最後になって、家族に捨てられて寂しかったけど俺は底まで落ちてそこから這い上がったとか。
なんだよ、結局「俺って意外と寂しがり屋で不器用なんです」宣言かよ・・・これが天然だったら可愛いけど、計算だったら最悪だなとか。
さすがに1冊ではそこの判別は出来なかったが。


君がオヤジになる前に

君がオヤジになる前に



で、結局のところ、上の本もそうだけど、面白い本って、書評や前評判じゃなくて、大抵は書棚で偶然出会うんですよね。
やっぱ本も男も狙いすぎちゃ駄目ってことね・・・。

持ち運びやすいのは新書なので、新書に当たりがあると本当に嬉しい。
しかし新書は乱造による質の低下が激しいので、まともな作品に出会うのは、もはやナイル川で砂金を探すようなもの。

ここのところGrrrlyの最大の悩みはお仕事まわりに関するもろもろ。
なのでキャリアと名のつく本を乱読中、出会ったのが「転職は寝て待て」(山口周)。



久々の大ヒットでした。
内容的には、特にキャリアディベロップメントについて多少なりとも知識のある人は、これといって新しい知見が得られるようなものではないのですが、とにかく「まとめ」として、そして知的(笑)読書体験としては最高品質の部類に入るように思う。
元々が慶応の哲学卒という経歴からか、カラバッジョの「聖マタイの召命」を枕に話が始まり、ニーチェなんかを引用して哲学っぽいエッセンスをちりばめつつ、心理学、社会学、色んなところから面白そうな話題をちょこちょこ引っ張ってきて、本題のキャリア論を展開していく流れはとても自然で一気に読める。
更にご自身の電通からコンサルという華やかなキャリア経験を全く嫌味なく裏話的に開示していくことで、イマドキの新書には必須の少し軽いエッセイ的な部分と下世話な好奇心を満たす要素も十分。このあたりは姜尚中の「悩む力」にも匹敵すると言ったら誉めすぎか。
とにかく、彼が本書の中で紹介しているような本にほとんどなじみがない人にはとても新鮮だろうし、馴染みがある人にも、「教養」あるっぽい感じ(笑)がなかなか堪えられないだろう。
この本を読んだ後、著者のブログを見つけて読んでみたが、どうやらこの本の下ごしらえは結構短期間にされているようで、案外短い期間に仕入れた知識でここまで仕上げたらしく、さすがコンサル・・・と唸ってしまった。

ちなみに、新書でのヒットは昨年読んだ水無田気流こと田中理恵子の「平成幸福論ノート」以来である。
「無頼化する女たち」も面白かった記憶はあるけど、実は内容を今思い出そうとしてもさっぱり思い出せない。



無頼化する女たち (新書y)

無頼化する女たち (新書y)



偶然の出会いとしては、他に面白かったのはバーバラ・エーレンライクの「ニッケル・アンド・ダイムド」「捨てられるホワイト・カラー」。
書評とか、書店店頭などの難点は、こういうちょっと前に出た面白い本に出会い難いこと。そういう意味で新しいものも古いものも区別なく無機質に並んでいる図書館というのは先入観のない偶然の出会いを引き寄せ易くて良いのよね。




今度読みたい。


ポジティブ病の国、アメリカ

ポジティブ病の国、アメリカ

そのストラテジー、大丈夫?



以前にも言及した「Mr.サンデー」の「ニッポン新書 ニッポン社会学のすすめ」というコーナー。
今回は年の婚狙いの20代女子にスポットを当てていた。


実際のところ、番組が主張するように、以前よりも若い子が年の差婚(ここで言われている年の差は加藤茶ラサール石井のケースであって、決して吉田美和系ではない。)志向が強まっているのかどうか、私は身近にそういう話は聞かないし、番組の中でも、これといった統計データを示していた訳でもなく、恣意的に編集された街角インタビューからだけでは測りかねるものがある。


だが少なくとも番組に登場していた二人の女性は年の差婚狙いであり、しかもそれは好みの男性が「渋いおじさま」だからという訳ではなく、あくまで外見的には限りなく若く、しかし内面・・・精神も財布の中身も・・・は成熟した男性に限る、というのだから、ぶっちゃげ「金づる」を探している訳である。


いや、それはそれで全く否定しない。
私も結婚相手の収入が「全く」問題にならないかといえば、そんなことはあり得ないだろうと思う。
まして「若い」私が、「おっさん」のあなたと結婚してあげるのだから、それ相応の見返りは要求するわよ、というのはまぁある意味真っ当な交渉であろう。


二人が口を揃えて言っていたことは「安定したい」。
あわよくば専業主婦になって子育てしたい。
つきましては、性的には枯れかけてて、十分なお給料を稼いでくれる、包容力のある男性に安心して人生を任せたいので、この際年齢は問いませんと。


だけどそれが戦略として正しいのかといえば、私には随分と的外れなように思える。


理由その1。
そもそも婚活市場に残ってるような、30代半ばから40代にかけての独身男性は、金が無いから結婚できないか、金があっても金を使えないから結婚できないか、の2択である。
「いや、私の周りには金もあって、金の使い方も知ってる独身貴族がいますけど」と言いたくなる人もいるだろうが、大丈夫、そういう男はそもそも婚活市場には出回らないし、市場外でも婚活女子のようなレベルとは真剣に相手をしない。


理由その2。
男は何歳になっても包容力などない。
もし30代40代で包容力があるように見える男がいたら、その人は男ではなく父である。


理由その3。
仮に同じくらいの年の男の子と比べて、彼らの年収が名目で高く見えるとしても、実際にはあなたが結婚する時が年収のピークだ。
そんな高値で入ってロングしちゃったら、後は損が膨らむ一方。
万が一、結婚して数年でリストラなんかされちゃったら、次の仕事を探そうったってなかなか見つからない。
むしろまだまだ安い若い子の方が上昇余地があって楽しみではないか。
日本経済が右肩下がりだからといって、彼ら全員が右肩下がりという訳ではないのだ。
変化する世の中に対する適応力も若い人とおっさんでは全然違う。
これからますます混迷する世の中にあって、柔軟性というのは最も重要な力の一つではないだろうか。


理由その4。
残念なことに、おっさんは君たち若い子が思う何倍も頭の中が石灰化している。
逆に私たちのような40前後のロスジェネ世代から見て、今の若い子たちは本当にリベラルだと思う。
もちろん個人差が大きいだろうが、一般的に見て今の20代の男の子と40代のおっさんを比べてどっちがよく家事や子育てを手伝うかと言えば、圧倒的に20代男子だろう。
そもそも体力が違う。35で結婚しても子供が小学校に上がるときには40代前半である。パパさんリレーでアキレス腱切るくらいなら運がいいかもしれない。
更に、夫が年寄りということは、その親は更に年寄りだ。
結婚早々に義父母の介護という事態も想定しておいた方が良い。
そんなこんなであらゆる仕事があなた一人に集中する可能性は非常に高いと予想される。


しかし、そうは言っても「結婚」ということだけを目標とするなら、20代で年の差婚を狙うこと自体は、こと「婚活」においては非常に有効なストラテジーであることは間違いない。
番組の中でゲストの優木まおみは「20代にマーケットを荒らされたら、私たち30代女子はどうすればいいの!?」とお冠だったが、そういうことだ。
若いというだけで、芋みたいな顔した子だって、(最初の話と矛盾するようだが)同じ年頃だったら歯牙にもかけてくれないクラスの男と出会うチャンスもあるだろう。
だがその男が本当に彼女たちの望むような「安定した生活」を与えてくれるかは、疑問ですよ、というだけだ。


でも私に言わせりゃ、今の世の中、看護士という資格を持ってるだけで(番組に登場した23歳の女性の職業)、十分安定した部類に入ると思うんですけどねぇ。信用金庫(婚活パーティーで知り合ったデート相手の30代男性の勤務先)よりよほど潰しがきくと思うよ。


「婚活」現象の社会学 日本の配偶者選択のいま

「婚活」現象の社会学 日本の配偶者選択のいま

大丈夫、いつかは終わる



時折思い出したようにいじめの問題が話題になる。
実際にいじめにあった経験のある人はその都度、トラウマが蘇ってPTSDだろう。

あるはてぶの記事を読んだ。
http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20120707/1341604642


そのなかに「物理的に逃げろ」というアドバイスは全く役に立たない、という内容があった。
それを読むまでは私も「逃げればいいのに」とまるで他人事のように思っていた。

私自身は「いじめ」を受けた経験はないが、それに近い、クラスメートに無視されて友達がひとりもいない、という時期が半年ほどあった。
中学時代の僅かな時期(中学2年)で、真剣にいじめられていた人から見れば「へそ茶」レベルの話だし、私自身にとっても生死にかかわるほどの深刻な話ではなかった。
というのも、そもそもその状況を招いた張本人は自分だという自覚があったし、私は当時、クラスメートに対して完全に「上から目線」だったからだ。
つまり「下々のもの」に無視されたところで、本当のところ、痛くもかゆくもなかったのだ。


この出来事の詳細は注*1に譲るが、いじめとは別のことで、私は学生時代、学校に通うのが困難な時期があった。
正確には、高校の後半から20代のほとんどの時期をそのことで潰した。
文字通り、逃げ場が無かった。
だから、上記の記事を読んだとき、そうか、いじめに対して「物理的に逃げろ」というアドバイスが現実的でないというのは、確かにその通りだと気付いた。


その問題が何だったのかはここには書かない。
ともかく、私はその問題に悩み、そしてそれを親に言うのが困難だった。
親に言えば何かが解決していたのか。いや、多分何も解決しなかっただろう。
だが少なくとも私の追い詰められた気持ちの少しは癒されたのかもしれない。
だが難しかった。

何故なら思春期だったからだ。
思春期の親との関係は、普通でも複雑にねじれるものなのに、ややこしい状況ではとても正常な判断など出来るはずもなかった。
いや、実は、そのことを一度だけ、母親に相談した。
ものすごく勇気を振り絞って。
手が震え、声が上ずるほど緊張したが、なるべく軽い調子を装って、こういうことに悩んでいるのだと告白した。
母は同情してくれたし、どしたらいいかなと考えてくれたけど、まさか私が自殺を考えるほどに追い詰められているとは思いもよらなかったと思う。
そして最後は常套の「気にしない」という言葉に落ち着いた。
私は絶望した。ものすごく絶望した。
もう私は一人でこの問題と戦わなければいけないのだと思った。
そこから10年はひたすら灰色だった。


だから私はもし自分の子供が同じように何かに悩んだときに、自分に相談してくれるなんて安易には考えられないし、相談されたところでそれに対して本当に正しい対処をしてあげられるのか自信がない。
私の母は私のことをものすごく愛していて、子供の為なら自分の命を投げ出してもいいというくらいに全力を傾けて育ててくれた。(当然行き過ぎた愛情なので私はACに育つ訳だが。)
それでも、そんな母でも私を救えなかった。
だから私は自分の子供を幸せにしてあげられないのだという諦念が常にある。
それが私の子供を産みたいと思えない最大の理由だ。


ともかく、今振り返って、その時どうすればいいのか、と考えると、やはり私も上記の記事と同じことしか言えない。
耐えなさい、ひたすら耐えなさいと。
闇はいつか明けるのだと。
私も闇が明ける日が来るなんて想像できなかった。
ただ死が怖くて遂げられなかったから生きていただけだ。
それでも生きていて、じたばたし続けているうちに、ある日、気づいたらうっすらと空が明るくなっているときがあるのだ。


ましていじめなら、その闇は「絶対に」明ける。
ある場所でいじめられていた人間はどこに行ってもいじめられるという人がいるけど、大丈夫、そんなことはない。
ちなみに人間、大人になったらいじめなんて下等なことはしなくなる、ということは、残念ながら全くない。
会社でも、公園でも、いじめはある。
でも、どこかには必ずその人にあった場所がある。
それこそ、いじめられていた人ばかりが集まるような、そんな場所があるのだ。
そこを見つければいいのだ。
学生時代さえ生き延びれば、後は自由。
世界は広い。


但し、いじめられた経験が人生にネガティブな影響を残さないかといえば、それは残念だが保障できない。
私が無駄にした10年は決して戻らない。
最も輝いているはずの時期を曇天の中で生きたことは、私の人生から色んな可能性を奪った。
だけどそれを嘆いても仕方ない。それは交通事故にあって肢体不自由になったのと同じように、運命だったのだと思うしかない。
人生は不条理にできているのだ。
だけどその出来事をどう捉えるかは本人次第。私はなかなかコップの水を「まだこれだけ残ってる」と思えないタイプだから、他人にアドバイス出来る立場ではないけれども、乙武君と言わないまでも、皆がそれぞれの分の中で精一杯生きているのが人生だ。
「もし」は無いのだ。与えられた武器だけで勝負するしかない。


もうひとつ、人間はなるべく「恥」の感情を無くして生きた方が「楽」に生きられる。
決して他人に誉められる人生にはならないだろうが、本人の体感的にはとても楽ちんになる。
思春期時代ほど恥の感情が強いのだが、どうにかしてそんなものをうっちゃれるような強さを身に着けられないものかなと思う。
恥の感情はプライドの高さに比例するので、要はプライドを捨てろということになるかもしれないが。
逆にプライドをエベレストより高く持つ、という手もある。
自分は高貴な人間で、周りの人間は蛆虫くらいに思っていればいい。
「いじめ」という行為も、ハエや蚊が鬱陶しいのと同じ、と考えれば少しは気持ちが楽にならないかな。
・・・まぁ人に言うのは簡単で、自分も未だに恥の感情に悩まされない日は無い訳だが。


本の題ではないが、「だからあなたも生き抜いて」と思う。
10代の子供が自分の命を自分で断つような悲しいニュースを聞きたくないからこの記事を書いた。
こんな日記は子供は読んでないから意味が無いのはわかっているけど、書かずにはいられなかった。


*1:ただ辛かったのは、3年生の春に、そのクラスのメンバーで修学旅行のグループ行動をしなければいけない、ということだった。体育の授業で二人一組になるとき、誰も組んでくれないような人間が、修学旅行で誰とグループになればいいのか。恐ろしいことに、そのグループは先生の優しい配慮で「自主的に(仲の良い子と)組成してよい」というものだった。状況は絶望的だった。私は母に素直に状況を訴え、母は心を痛めてくれた。
結局その問題は別の角度から解決を見た。(おそらく私の状況に気づいていた担任教師の配慮で)同じ小学校出身のクラスの中でも中立的な立場にあった女の子たちのグループが私に声をかけてくれるようになったのだ。私は本当に嬉しかった。今でも彼女たちに感謝している。直接口に出したことはないが、この感謝の気持ちを私は一生忘れないだろう。
(もしかしたらこの出来事は昔のブログに書いたかもしれない。それくらい私にとっては人の善意に救われる強烈な出来事だった。)

引用集



書店でもらえるエッセイやら連載小説やらのミニコミみたいな小冊子、私はあれが結構好きで、わざわざ送料出して1年分定期購読したりしてます。
今日も会社帰りに寄った丸善で手にした冊子の中に酒井順子の連載エッセイを発見。
今更酒井順子でもないだろうとなめてかかって読み始めたら、やばい・・・やっぱり一時代を築いた人をなめたらあかんわ。


それは「下に見る人」という、酒井流の「上から目線の構造」なのでしょうか。残念ながら私の手にとった号が最終回だったのですが、これが素直に面白いのです。
あまりに面白いのでぜひ紹介したいと思って要約しかけたのですが、こりゃ本編を読んでもらった方が早いと思うので以下に一部を転載します。



大人になって平安女流文学を読むようになって、もっとも驚いたこと。
それは、作者逮が「何の際踏もなく、他人を下に見ている」ということなのでした。
平安女流文学の書き手は、貴族階級の女性逮であるわけですが、彼女達はごく普通に、下種(貴族ではない人々のこと)や田舎者のことを、見下している。
たとえば、私が敬愛する清少納言。「枕草子」にはそこここに、下種のことを馬鹿にする文章があります。

(中略)


そんなわけで、彼女はのびのびと「下は下」と書いていたわけですが、しかし彼女が下種を毛嫌いした理由は、わかるのです。
第五十四段には、「ちょっといい感じの若い男が、下種女の名前を気安く呼ぶのって、すごく嫌な感じ。名前を知っていたとしても、『○○・・・』とかって、名前の半分くらい思い出せないような感じで呼ぶのがいいのに」といったことが書いてあるのですが、この部分に、清少納言の下種嫌いの理由が凝縮されているのではないか。
若い貴族の男が、下種女に対して親しげに呼びかける様子におかんむりの、清少納言
彼女は「ちょっといい感じの若い男」は自分の側にいて、下種女は対岸にいると思っています。
が、男は下種女にも気安くする。その時清少納言は、自分の陣地が他者、それも自分が飼い犬程度に思っていた下種女に踏み荒らされたような気持ちになったのでしょう。
その下種女は、おそらく若くて可愛かったのだと思います。
つんと澄ました貴族女性とは違って、いきいきとした魅力もあったことでしょう。
それもまた、彼女のイラつきに拍車をかけている。
たとえば、一流企業で総合職としてパリパリと働いている女性がいたとしましょう。
彼女は、同期入社の男子達のことを、仲間であり同志であると思っています。
同期男子の中には、社内にいるバイト女子を楽しげにからかったりする人もいます。
バイト女子は、頭はよくないけれど、若くて可愛い。
そんなバイト女子に、「じゃ、今度飲みに行くか!」などと言っている同期男子を横目でにらみつつ、総合職女子は苦々しい気持ちになっているはずです。
私を飲みに誘ったことは一度もないのに、バイトなんか誘ってるんじゃねえよ・・・と、顔は平静を装いながらも、内心には煮えたぎるものが。
清少納言の感覚は、これと似ています。
彼女は宮中に仕えるキャリアウーマンとしての衿持を持っていたからこそ、自分と同レベルの男が、下種女にちょっかいを出すのが耐えられない。


(中略)


この連載では今まで、人はどんな時に他人を下に見ようとするのかということを、自分の人生と重ね合わせつつ考えてきました。
思い返してみれば、私は実に様々な局面において他者を下に見てきたし、また他者から下に見られてきたのです。
そしてなぜ人は人を下に見るのかと考えてみると、多くのケースに、清少納言的な心理があてはまるのではないかと思えてくる。
すなわち、世の中をざっくりと上と下に分けるとしたら、その境界線に近いところにいる人ほど、他者を下に見たい、という欲求は強くなるのです。
それは自らのポジションを死守するための自衛手段と言うことができるでしょう。
たとえば下の世界から上の世界へと上がったばかりの新参者は、新参者であるが放に、下の世界を差別します。新興成
金は下々にもわかりやすい形でお金持ちっぷりをアピールしますし、晩婚の人ほど独身の人に対し、「ずっと一人でいいの?結婚って、いいわよーう」といったことを無邪気に言いがち。

(以下略)




酒井順子って、いくつになってもこういう感性を持っていられるところが、才能なんでしょうね。
しかし多分相当生きるのがしんどいタイプだろうなぁ・・・。親近感を覚えます。


女も、不況? (講談社文庫)

女も、不況? (講談社文庫)

その人はどうしてその生き方を選んだのか



水商売というのは、私のような田舎者の小市民には最も縁遠い職業のひとつです。
キャバクラやスナックならまだしも、AV女優というのは、全く理解の遥か彼方の人種。


女性は顔が全てと言われ、どれほど人格的に優れていようと、頭脳が高かろうと、お家柄が良かろうと、ブスというだけで価値0リセット・・・というのは、もう何度も何度も書いてきた世の中の男性に対する恨み節ですが(多分私は死ぬまでこのことを恨み続けるだろうし、そのことを事実として、母や祖母の繰り言から知っているのである。)、そんな私から見れば、顔が平均以上というだけで、女として圧倒的にアドバンテージを得ているにも関わらず、何故あえて社会の最下層にまで下りていくのか、本当にさっぱり理解できません。


世の中には私が(本当の意味では)知らない貧しさや厳しさがあるのでしょう。
そこに行かざるを得なかった環境や因果があるのでしょう。
そういえば彼女達の顔には、その美しさの下に、どこかしら影やら険やらが透けて見えるようです。


ということを何故思ったのかというと、たまたま某瑞樹というAV女優の映像を見かけたことがきっかけです。
その彼女のワンピース姿が、どうしようもなく可愛かったのです。
男が100人いたら98人がこんな彼女が欲しい!と思うのではないかという綺麗さ。
普通に綺麗な女優さんなら多分沢山いらっしゃるのだろうと思いますが、私が彼女に釘づけになってしまったのは、その白い肌の下に何かとても寂しげな悲しげな暗いものが見えるように感じるからです。


いったいこんなに綺麗な若い女の子が、どんな悲しい人生を背負って生きているのだろうか。
それを想像するだけで胸が潰れるような思いがするのです。
それに引き比べ、若くもなく、綺麗でもなく、女としてはぞんざいに扱われようとも、オフィスで椅子に座って十分な文化的生活が出来るだけのお給料を頂ける自分の人生は何と恵まれているのだろうと、改めて思う訳です。
だからといって、心がしこりが消える訳では全く無いのですが。


ところで偶にAV女優と付き合う男がいますが(最近だと香川)、男の人は自分が愛する女が世界中に向けて股を開いててもさほど気にならないものなのでしょうか。
別に処女性に価値を置いている訳ではないですが、同性としてAVという職業すら理解できないのに、それを生業にする女性を愛するという特殊な状況が全く私の理解の範疇を超えています。


毎日毎日会社と家の往復をしてると、時々ふと、世の中にはいろんな人がいる、いろんな人生があるということに、(何歳になっても)新鮮な驚きを覚えます。
下ばかり見て歩いてて、周囲の風景の変化に気づかないような、そんな毎日です。


職業としてのAV女優 (幻冬舎新書)

職業としてのAV女優 (幻冬舎新書)